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一年ぶりの上京


私が所属している俳句の結社の20周年記念句会に参加するために1年ぶりに上京した。
10年前までは東京都の外れに暮らしていたが、こうしてしばらくぶりに東京の電車に乗るとその人の多さに圧倒されてしまう。

今回は、記念句会とからめて上野での田中一村展にも行ったため、さらに拍車が加わった。
ふだん美術展にはあまり行かないが、あまりの人の多さとその空気感に戸惑いとやや疲れを感じた。


結社の俳句は2日間にわたって行われた。
結社の代表の拠点は山深い郷にあるが、そこにも10年ぶりに訪れた。
そして吟行でも数名の方々と10年ぶりの再会ができた。

10年ぶりの再会というのも過去あまり体験したことがない。
代表は、結社内での上下関係をなくし、フラットで風通しの良い関係性を積み重ねてこられた。
記念式典の挨拶も舞台の下からというのも代表らしい。
まさに水瓶座時代を先取りされてきた存在である。

振り返ると15年前に代表と初めてお会いした際も真っ白なTシャツにジーンズとスニーカーで、私の俳句の先生のイメージは大きく崩された。

今回、10年ぶりにお会いした方々とも一瞬でその当時の親しい関係性が蘇った。
これも親族でもなく、このような空白期間を経ても以前の関係性が蘇るという体験はとても新鮮であった。

10年ぶりそして1年ぶりの再会に私の内側は懐かしい感情に溢れ、俳句も感情に流された作品ができてしまった。

関東のメンバーは月に吟行を3,4回出て鍛えておられる方が多く、吟行で出会ったもの、出来事をシャープな切り口で俳句として表現される瞬発力に圧倒される。

句会になると代表、他者による点による評価が発生して、私自身の月乙女座を刺激する。
代表の選がなくても他者からの点が少なくとも本来ならばそこで自己嫌悪になる必要はない。
そのとき、その場での自分らしく表現していくことの尊さを感じるというところに意識していこうと思う。

2日間とも代表の選は得られなかったが、2日で出会ったもの、出来事を通して俳句はたくさんできたので、その中で自分として納得のいくものを選んでいこうかと思う。



       土手下りヒヨドリジョウゴの実に触れて



         小春日の風になりたるヒメジオン



           落葉踏み高野箒を覗き込む

高野箒の枝で昔は箒にしていたようです。
玉箒(コウヤボウキ) | きものアトリエ とりよろふ (toriyorofu.jp)



         北欧の調べ流れて冬の湖



         まなざしはいつもやさしく冬ざくら




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