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老いた父

特別な行事がない限り一泊で帰る実家であるが、父に確認することもあり珍しく今回は2泊した。2日目は母と大山にある豪円湯院という温泉に行こうと話していたら珍しく父も一緒に行くということで3人で訪れた。

豪円湯院 - 大山の霊水で温泉事業と豆腐豆乳の製造をしています。 (goenyuin.com)

父は大山は20年ぶり、母も数年ぶりだという。紅葉には少し早い時期であったが、標高が上がるにつれて紅葉の色が濃くなっていた。

昨年、私が訪れた際は、豪円湯院の駐車場まで車で入れたので、足に痛みのある父にもそんなに負担はないともくろんでいたが、当日、通行止めとなっていた。
せいぜい150mほどの緩やかな坂道であったが、父にとっては、息も上がり途中で何度か休みつつ辿り着いた。母はすたすたと軽い足取りで私たちを置いて先に行ってしまった。

ステッキを車に載せていたが、プライドが高い父は、瘦せ我慢をしてステッキなしで進んでいく。小雨が降り出し、路面が濡れてきたため、骨が折れて寝たきりになってしまうという恐れからいつも以上にしっかり確かめながら足を運ぶ父。

二人とも米寿を過ぎているが、介護認定を受けていない。父は診てもらえれば1番低い介護認定にはなるかと思うが、やはりそんな自分が許せないのか、受けようともしない。
父が10歳の時に母子家庭となった。祖母は目と足が不自由で、父の下に妹と貧しい家庭を何とか建て直ししなくてはと、戦後、がむしゃらに働き、工場を立ち上げたが、健康を害して大きな手術を3回も行った。いずれも奇跡的に治癒し、不整脈、糖尿病などは持ちつつも、医者を信じることなく、処方された薬と自分の状態を繊細に管理することでバランスを保ってきた。

自分の力でやり抜いた自負が強いため、若いときの私への支配しようとする力は凄まじいものがあった。そんな父との関係性が影響して18歳の際に自律神経系の病気で入院した。
当時の私は、自分と父との関係性を言葉で認識し整理できていなかった。ただそんな父から離れないと生命的に危ないという危機感のみがあった。

それからも実家に帰る度に私への激しい言動に、私は父とは距離を持って暮らすしかないという意識がますます強くなった。
父は所謂、エナジーバンパイヤの傾向に見事に一致し、特に繊細な私のような者においては一緒に時間を過ごすとエネルギーが奪われてへとへとになる。

エナジーバンパイアとは? 特徴と対処法(診断つき)|「マイナビウーマン」 (mynavi.jp)

そんな父ではあるが、最近は柔らかくなり、私の話にも耳を傾けるようにはなってきた。私自身、他者との距離感がつかめにくい傾向があり、身近な父においても父の問題であるにも関わらず自分の問題として受け止めて重たくなってしまうことも過去を振り返ると多々あった。

毒舌でヤクザ的な父においても情が深く、祖先や家族を大切に思う気持ちはとても深いものがある。

大山の路面の濡れた坂道をおそるおそる下る白髪の父の姿に触れ、いろんなことがあり、分かり合えないものがあるにしても、私自身が後悔のないよう老いた父と向き合いたいなと感じた。


実家にはいつも一泊夾竹桃



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