光を意識する
昨年の7月からnoteに写真、俳句、文章を定期的に投稿するようになってから写真への関心がしだいに強まってきた。
私は、以前は、写真、カメラが嫌いであった。
その理由として、何か出合って、味わいたいという感覚が、カメラをもつことによって阻害されるてしまうという強迫観念が長年、存在していた。
それは私が月乙女で不器用であるために同時に複数のことを切り分けて行うと行為が苦手であることも影響していたのかもしれない。
俳句は言いたいことが言えない文学と言われ、五七五という型が存在し、解釈は読み手に委ねていくものであり、そこに言葉で説明を加えてしまうと真実から普遍的なものから離れていってしまう感覚がある。
ブログの場合は、言葉でかなり表現はできるが、同じようにその言葉が説明のための言葉となった場合は、普遍的なものとして伝わりにくいという結果になりかねない。
そういう意味でも写真は、言葉の介在がない。
一年前からnoteに投稿しはじめるにつれて、他者と比較したり他者の評価を意識することがなくなりはしないが薄まり囚われにくくなってきた。
以前のnoteにも書いたが、3室牡牛座太陽が家来の3室水星と協働で暮らしそのものを表現してアート化していく衝動、楽しさを遅まきながら感じつつあります。そのことが表現のひとつである写真に導いてくれたことは間違いない。
何かに触れて、言葉にはならないが、ただ写真を撮る行為。
俳句においてもただ、言葉に残しておき、後から自分自身の感覚と重ねていく作業とも実に共通するものがある。
写真に抵抗を感じていたのは、自分は不器用で、うまく撮れない、カメラをもつと目の前のものを感じることができないという月乙女的に自分を否定する働きが強かったのだろう。
月乙女座の反転である魚座要素により、まさに暮らしのアートとして表現する手立てとして写真という媒体を感じれば、不思議なことに抵抗感が生まれないのである。
以前にデジカメを購入して使用していたはずが、そのカメラを失くしてしまっており(月乙女座は、ものの維持管理が苦手)、カメラを購入するかどうか、購入してもまた壊したり、失くしたりしないかという不安にも襲われたが、思い切って10年前のリコーのGRデジタル4というコンパクトデジタルカメラを購入した。
GR DIGITAL IV / デジタルカメラ | RICOH IMAGING (ricoh-imaging.co.jp)
俳句と同様に、写真も意識を外側に向けてくれることは間違いなく、
暮らしのアーティストを目指す私に大きな片腕になってくれると思う。
まだ起きぬ次男の席にバナナ置く
※写真と俳句の日記をインスタグラムにアップしています。
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