盛り塩の起源。西晋の武帝・司馬炎説。
盛り塩の起源にはいくつかの説がありますが、その中の一つに西晋の初代皇帝である司馬炎にまつわる話があります。
司馬炎は多くの宮女を抱えており、毎夜、羊に引かせた車に乗って後宮を巡り、羊が止まった場所の女性と一夜を共にするという習慣がありました。
宮女たちは自分のところに皇帝を来させるために、自室の前に竹の葉を挿し、塩を盛っておいたと言われています。羊が竹の葉を食べ、塩をなめるために止まるからです。
この故事が、日本の料理店などで盛り塩をする風習の起源とも言われています。
他にも、日本の神事や葬送儀礼から来たという説もあり、盛り塩は魔除けや厄除けの意味を持つとされています。
興味深いですね!
(1) 盛り塩 - Wikipedia. https://ja.wikipedia.org/wiki/盛り塩.
(2) 盛り塩の意味は?由来の意外な歴史もわかる - 宅ファン. https://takufan.com/iechishiki/72.html.
(3) 盛り塩の起源 | 歴史の渦. https://rekishi-no-uzu.info/2018/01/05/post-93/.
(4) 盛り塩の意味と由来!作り方や置き場所は?捨て方はどうする .... https://なるほど情報マガジン.com/2016/1107/morijionoimitoyurai/.
(5) ja.wikipedia.org. https://ja.wikipedia.org/wiki/盛り塩.
司馬炎(しばえん)は西晋の初代皇帝であり、字は安世(あんせい)といいます。彼は236年に生まれ、290年に亡くなりました。司馬炎は魏の有力者であった司馬昭の長男として生まれ、265年に魏から禅譲を受けて晋を建国し、さらに呉を滅ぼして中国を統一しました。
彼の治世の初期には、学識と礼教を重んじる名望家を重臣に任命し、民心を得るために庶民への民爵の賜与を行いました。
また、後漢や魏の皇族の任官禁止を解除し、曹植の子や諸葛亮の子孫を任用するなど、戦乱で苦しんだ民情を考慮して国家構築を行おうとしました。
しかし、統一後は政治への興味を失い、後宮に多くの女性を集めるなどの行動が見られました。彼の後宮には1万人もの宮女がいたと言われています。
また、彼が皇族を各地の王に封じたことが、後の八王の乱の遠因となりました。
司馬炎の死後、西晋は八王の乱で疲弊し、最終的には永嘉の乱で滅亡しました。
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