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江戸時代の農民は町に遊びや買い物に行けたのか?

江戸時代の農民は町に遊びや買い物に行けたのか?

This picture  was   drawn digitally Rei  Hayakawa.

江戸時代、農民たちはただ畑を耕すだけの存在ではありませんでした。彼らにも生活はあり、楽しみもありました。実は、農民たちには休日があり、正月やお盆などの祭りの日は休みでした。年間約30日から50日の休日があったとされています。これは、今のサラリーマンの休日の半分程度ですが、当時としては決して少なくない数字です。

農繁期を除けば、農民たちは町に出かけ、遊びや買い物を楽しむことができました。例えば、伊勢神宮への参拝は、一生に一度は行きたいと願うほどの大イベントでした。農民たちは商品作物を栽培し、その収益でお伊勢参りの資金を貯めたり、他の楽しみに使ったりしていました。

さらに、農民たちは副業として手工業にも従事しており、問屋制家内工業というシステムを利用して、家で機織りなどを行っていました。これにより、農民たちは自由な時間を持ち、生活を豊かにすることができたのです。

しかし、幕府や藩は農民が遊びすぎて耕作を怠け、年貢が取れなくなることを心配していました。そのため、農民の遊びを抑えようとする動きもありました。しかし、交通が発達すると、農民も神社や寺にお参りしたり、名所を見て歩くようになりました。特に伊勢神宮への参拝は、農民にとって一生の願いであり、多くの農民がこれを目指していました。

江戸時代の農民の生活は、時代劇で描かれるような厳しいものだけではなかったのです。彼らには自分たちの楽しみを追求する自由もあり、町に出かけて遊びや買い物をする機会もあったのです。今日の私たちにとっても、仕事とプライベートのバランスは大切なテーマですが、江戸時代の農民たちも、そのバランスを大切にしていたのかもしれませんね。

This picture  was   drawn digitally Rei  Hayakawa.

江戸時代の町の喧騒は、農民だけのものではありませんでした。町人、武士、さらには寺社の人々まで、様々な階層の人々が町に出かけていました。町人たちは、商人や職人としての仕事の合間に、市場での買い物や祭り、演劇を楽しんでいました。武士もまた、公務以外の時間には、茶屋や芝居見物で息抜きをしていたと言われています。

江戸時代の町人地は、家持ち町人、地借り町人、店借り町人など、様々な階層に分かれていました。家持ち町人は、自分の家と土地を持つ商人や職人で、町の運営にも参加していました。地借り町人や店借り町人は、土地や家を借りて住んでおり、町の運営には参加できませんでしたが、彼らもまた、町での生活を楽しんでいたのです。

町人たちは、長屋に住む店子から、表通りに店を構える大商人まで、多種多様でした。店子は、町人としての権利はほとんど持てませんでしたが、町内での公用出費がない代わりに、町の喧騒を身近に感じることができたのです。

This picture  was   drawn digitally Rei  Hayakawa.

さて、江戸時代の町に出かけるといえば、忘れてはならないのが外食文化です。江戸は、世界でも有数の「外食天国」でした。そば屋、寿司屋、鰻屋など、様々な食事処が軒を連ねていました。町人たちは、仕事の合間にこれらの店で食事を楽しんだり、友人と語らったりしていました。これは、今日の私たちがカフェやレストランで過ごす時間とも通じるものがありますね。

江戸時代の人々は、現代の私たちと同じように、仕事とプライベートのバランスを大切にしていたのです。町に出かけることは、彼らにとって、日々の生活に彩りを加え、コミュニティの一員としての絆を深める重要な機会だったのです。そして、それは今日の私たちにとっても変わらない、大切なことなのかもしれません。。


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