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ロバート モンダヴィ

 5月16日はロバート モンダヴィさんの命日です。2008年のこの日、94歳で他界されました。ナパ バレーの名声がここまで高くなった、その功労者の筆頭に挙げられるのがこの人でしょう。実はまだまだ多くの人たちが関わり、功労者と称すべき人は多いのですが、それでもこの人が最もよく知られているでしょうね。ロバート モンダヴィさんの興味深い話はいろいろとありますが、今日はその中でも筆頭となる、きょうだい喧嘩の話をしましょうか。
 ご両親はイタリアからの移民です。子どもたちは4人、ミネソタで生まれました。女の子2人が先に生まれ、続いて男の子2人、それがロバートと弟のピーターです。

 父親チェザレは Charles Krug Wineryという老舗のワイナリーを経営していました。主にその販売を担当していたのがロバート、弟のピーターは技術畑を主に歩んでワインの醸造に関わっていました。それぞれ担当の仕事で成果をあげてワイナリーは売上を伸ばして行きましたが、その統括をしていた父親チェザレが亡くなるのが1959年、時にロバートは36歳、弟のピーターは34歳。子どもの頃はぶどうの出荷をするための木箱を作る競争をしていたそうですが、歳を重ねて二人は別の道を歩き始めます。
 ロバートは営業を一手に引き受けてニューヨークからサンフランシスコ、ロスアンジェルスを飛び回り、顧客からの注文書を送りつけてきます。自分がワイナリーの指導権を握ったと考えたロバートは、声が大きくなっていき、その声につれて態度も大きくなって、徐々に家族からの反感を買うようになってしまいました。
 そうして父親の他界後6年、ロバートとピーターはとうとう怒鳴り合いの喧嘩を始めてしまい、ロバートはピーターを拳骨で殴りつける。この後、家庭争議になり、弁護士が入り、ロバートはワイナリーへの出入り禁止となって、その結果 1966年にロバートは自分のワイナリーを作ります。
 これが現在ナパ バレーでも観光スポットの一つとなっているロバート モンダヴィ ワイナリーですね。ガイドさんについてもここらの詳しい話はしませんが、この喧嘩がなければナパ バレーの発展の形は明らかに違っていたはずです。地道に正統なワイナリー Charles Krug Wineryを現在まで経営しているピーター(ご本人は2016年に101歳で他界されました)と、安価なワインを提供してアメリカの家庭の食卓に革新をもたらし、同時にボルドーのワインに伍するような高級ワインを作ったロバート。喧嘩してからは全く接することのなかった二人のきょうだい、どちらも立派ですね。
 2005年、大喧嘩をしたロバートとピーターは40年後にようやく仲直りをして、その証としてそれぞれのぶどうを50%ずつ持ち寄ってワインを作りました、めでたしめでたし。
 今夜はともかく、ロバートの誕生日は来月18日です。その時はモンダヴィで乾杯をすることにしましょう。

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