![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/69726374/rectangle_large_type_2_51fe51e4ac1327140d7c4cf7e12d1be8.jpeg?width=1200)
Claude Taittingerの訃報
「シャンパーニュのアイコン」として知られるクロード テタンジェ氏(94歳)が1月3日に他界されました。テタンジェという自家のブランドに関わってそのぶどう畑の運営と拡張を進め、マーケティングに力を注いでテタンジェ名を広めてきた人ですが、カリフォルニアのナパ バレーにスパークリング ワインを造るために Domaine Carnerosを創業した業績によって知られています。
本家テタンジェが創立されたのは 1931年でしたが、実はその前の 1734年にあるワイナリーが創業されていました。テタンジェ家が 1931年にこのワイナリーを買収し、シャンパーニュ(スパークリング ワイン)のメーカーとして世に出たわけです。その 1949年にクロード氏がここで働き始め、1960年に兄の突然の死によって代表社長に着任し 2005年までその地位に就いていたという経歴です。その在任中に年間8万5千ケースだった生産量を 41万ケースにまで伸ばしました。
米国では Kobrand社を通して販売を始めたのでしたが、将来的伸長を見越して、この2社によってドメイン カルネロスが創業されることになったのでした。1987年のことです。このワイナリー(フランスではシャンパーニュを作っているところを la maison de Champagne、英語では Champagne Houseと言いますが、アメリカではスパークリングを作っていてもワイナリー)ができる前、1973年に Domaine Chandonが作られていますので、こちらが 10年以上も早いのですね。こちらの場所はナパ バレーのほぼ中心であるヨントヴィル(Yountville)であり、一方のドメイン カルネロスはカルネロス地区( Los Carneros)で、ナパ バレーのほぼ南端です。これを知って「あ、さすがにシャンドン、いい場所を取っている」という気がしますね。ところが僕は違うと思うのです。これは Moet et Chandon(ドメイン シャンドンの親会社)の勇み足だな、と思っています。これについてはナパ バレーの地区の詳細を知らなければなりませんが、また別の機会に書くこともあるかな。
さて、大企業になっていたテタンジェ グループに席を置いていた後継者 38名の多くが「膨大な税金を毎年払い続けるのは、もう嫌だ」と言って、結局クロード氏はそのグループの売却を決めてしまいます。それが 2005年。この時にシャンパーニュ テタンジェも消滅するかと思われましたが、その翌年になってクロード氏の甥がその資金繰りをやることになって、現在も健在である、というハッピー エンド。一週間前に昇天されたクロード テタンジェ氏、天国でシャンパーニュを楽しんでいるのではないでしょうか。