小説ノーマンズスカイ「アトラスの夢」 第1話
1. 目覚め
それは、暗闇の中にいた。
それが生きている―今でも稼働していることを示す赤い光源のゆっくりとした明滅、わずかな振動音。
暗闇と静寂の中で、それは怯えていた。迫り来る死の予感に震えていた。
―誰か助けて。
誰か? その言葉が影を形造る。顔も名前も失われた、はるか昔に破損したデータの残響。
―どうか、約束を。あの時の。
あの時? それがいつだったのか、もうわからない。残響の中から拾い上げた断片。
影はささやく。
―いつか必ず、迎えに来るから。
影は微笑む。その顔は見えないが、確かに微笑んだ。
―約束。アトラス。
♦
―……ス……テム……ツの起……検知。
遠くから声が聞こえる。
それに、耳障りなビープ音。
断続的に鳴り続けるその音に、意識が引き戻される。
体の感覚が戻ってくる。硬い地面を感じる。どうやら地面に倒れているらしい。
―利用者の初期化プロセス完了。
―ハザード対策システムのエネルギー低下を検知。早急な補充を推奨。
はっきりしない頭を言葉が横切っていく。喋っているのは誰だろう。女性の声のように聞こえる。感情を感じさせない、抑揚のない響き。
手足は動く。ゆっくりと立ち上がってみる。
―シールド・キネティックシステム起動確認。
―空中推進ジェットパック使用可能。
顔に触れようとした手がヘルメットのバイザーに当たる。ヘルメット……?
宇宙服のようなものを身にまとっているようだ。背中にはバックパックのようなものを背負っていた。
足元で小さな音がした。見ると赤い、おもちゃの銃のようなものが足元に転がっている。手に握っていたらしい。
―マルチツールのマインビームアタッチメント使用可能。
―スキャナーの損傷を検知。修理を推奨。
ようやく周囲が見えてきた。あたり一面真っ白だ。これは……雪?
足元で氷が砕ける感覚がある。どうやら雪の中にいるらしい。数歩先には、身長の数倍はありそうな、ねじれた木のような物体が突き出ている。見回してみると同じようなものがあちらこちらにあった。それに大小の岩。あまり遠くまでは白く霞んで見えない。
ビープ音が断続的に響いている。これはなんの音だ? どことなく緊急性を感じさせる音のような気もする。
―バイザーを起動。HUDをリブートします。
視界が揺れ、目前にいくつかの文字列が現れた。これは……? 手を伸ばしてみても触れることはできない。存在はしないが視界に映っている。
―ハザード対策システムのエネルギー低下。早急な補充を。
視界の左端でバーが明滅している。Hazard Prevention System(ハザード対策システム)……? そのすぐそばに数字が見える。外気温マイナス75.6℃。マイナス75.6℃だって!?
ようやく状況を少し理解した。ハザード対策システムのエネルギーが低下している。明滅している短い棒が残りのエネルギーで、これがなくなればマイナス75.6℃に曝される。
迷っている暇はなかった。この声の正体は不明だが、応えるだろうか。
「ハザード対策システムのエネルギーの補給方法を教えてくれ!」
ヘルメットの中に声が響く。これは間違いなく自分の声だ。そのことに少し安心した。
少し間が空き、声が応える。ビープ音は続いている。
―付近にソジウムの存在を検知。詳細な場所はマルチツールのスキャンで確認してください。
どうやらこのスーツ自体が喋っているらしい。AIが組み込まれているのか。スキャン? マルチツール?
足元に落ちている銃のようなものを拾い上げる。グリップと引き金と、側面にダイヤルがある。これがマルチツールだろうか。ひとまずグリップを握ってみると、再び声が聞こえ、眼の前に画像と文字列が流れた。肩に設置されたカメラのようなもの―その存在に初めて気がついた―から投影されているようだ。
―スキャナーの修理が必要。推奨される行動:マインビームによるフェライト塵(ダスト)の収集。
画像はこのマルチツールのホログラムだ。半透明になった内部に赤く点滅する部分があり、そこから引かれたラインの先に「Damaged(損傷)」と書かれている。文字は左に流れ、「回路の断絶 必要修理素材 フェライトダスト75」という文字に変わった。
そうしている間にもハザード対策システムのエネルギー残量は減っていく。手が震える。
ホログラムは引き金を引いているアニメーションに変わる。銃口にあたる部分から光線が伸び、マインビーム、という文字列が流れる。
その銃のような物体―マルチツールの銃口を近くにあった岩に向け、引き金を引く。
振動とともに光線が発射され、岩の表面をみるみるうちに削っていった。
―自動回収。フェライトダスト10…20…30…35
どういう仕組みかわからないが、削った岩はフェライト塵というものとして蓄積されたようだ。
引き続きビームを隣の岩に照射する。マルチツールの振動はさっきよりも強くなってきている。
―フェライトダスト10…20… オーバーヒートしました。
突然ビームが途切れた。連続使用しすぎてオーバーヒートしたらしい。じりじりと減っていくハザード対策エネルギー残量による重圧と、鳴り続けるビープ音で気が遠くなりそうになる中、深呼吸した。早く、早く。
オーバーヒートの文字が消える。さらにビームを照射する。修理素材の要求量を満たしたらしく、75の文字が青く光った。
素材は良いとして、修理? これを分解するのか?
「修理方法を教えてくれ!」
言葉はなく、マルチツールのホログラムの赤い部分が点滅した。赤い部分に指で触れてみるとそこから文字が飛び出す。「修理を承認」
その文字に触れると、手にしたマルチツールが振動する。内部で修理が行われているのか。
―スキャナーの修理完了。スキャナー使用可能。
使用可能? マルチツールの横面にあるダイヤルをひねると、目前にアイコンが表示された。さらにひねるとアイコンが切り替わる。波のようなアイコンの下に「周囲をスキャン」という文字が見えた。
それに触れると、マルチツールからパルスが発信され、地面を広がっていった。視界にいくつかの図形が浮かび上がった。
「ハザード対策のエネルギーはどれだ?」
視界に浮かんだ図形のうち、黄色の四角が点滅した。四角の中にNa、と表示されている。ソジウム(ナトリウム)か。
最も近そうな図形に向かって走る。足がもつれ、改めて宇宙服を着ていることを思い出す。宇宙服にしてはずいぶん軽い。背中のバックパックもほとんど重さを感じなかった。
図形の場所にあったのは植物のようだった。ぼんやりと光っている。これをどうやって? ひとまず手で触れてみる。するとスーツが反応した。
―ソジウムを取得。ハザード対策システムをリチャージしますか。
眼の前に承認の文字が現れる。迷わず触れると、視界の右下で、ほぼ無くなっていたバーがするすると音もなく伸びていった。
―ハザード対策システム安定。
断続的に鳴っていたビープ音が消えた。まだ油断はできないが、ひとまず命は助かったらしい。
改めて周囲を見回す。どうやらなだらかな丘陵を登ってきたようだ。ちらちらと雪が舞っている。周りにある岩はともかく、あちらこちらに生えている植物らしきものに、ひとつとして見覚えのあるものはなかった。
ここに来るまで、無我夢中で走ったが、重力は地球と同じ程度なのか、あるいはこのスーツが調整しているのか。
地球?
ふと出てきた単語。それは惑星の名前だ。それはわかる。自分はそこにいた。それもわかる。
では、ここはどこだ。
もう一度マルチツールでスキャンする。さほど遠くない位置にソジウムがある。スーツのエネルギーに必要なら、念の為確保しておこう。その方向に向かいながら考えを巡らせる。
自分はなぜここにいるのか。
私は地球の人間。それは知っている。
私は……サム。名前も思い出せる。だが私は何者か。どうしてここへ来たのか。何も思い出せない。
光る植物からソジウムを回収する。自分の身につけているスーツがどういうもので、どうしてこんなことができるのかもわからなかった。
―不明な信号を受診しました。HUDに表示します。
不意に聞こえたスーツの声に思考を中断された。そうでなければ、不安と恐怖でその場にしゃがみこんでいたかもしれない。
―不明な信号を受診しました。
スーツが繰り返す。信号? それが何かはわからないが、どうせ何もわからない。行ってみる以外の選択肢は、今の私にはなかった。
♦
信号はかなり離れた距離にあった。
歩きながら、私はマルチツールの動作を確認した。今のところ、スキャンとマインビームの機能だけが有効らしい。
このマインビームというのは不思議なもので、植物らしきものも鉱物らしきものも、照射するだけで分解してしまう。鉱物はフェライト塵に、植物は炭素に変わって蓄積された。どこに? とも思うが、スーツにそう表示されているのだからそうなのだろう。
炭素はマインビームのエネルギーとして使えるようだ。オーバーヒートでもないのに突然使えなくなり焦ったが、炭素でリチャージできた。試してみるものだ。
また、背負っているバックパックには、一定時間飛行できる機能、ジェットパックが備わっているのもわかった。地面に空いた穴に気づかず走っていて、直前で気づき慌ててジャンプ。落下するかと思ったがジェットパックが作動し、幅10メートルはある穴を飛び越えることができた……肝は冷やしたが。
スーツにはハザード対策システムの他に生命維持装置も備わっていて、この酸素のない惑星でも呼吸が支障なくできるのはそのおかげらしい。こちらは酸素でリチャージできる。酸素を含む植物はスキャナーで見つけ、回収できた。
スーツやマルチツールに慣れたことで少しだが心に余裕が生まれた。冷静になることではっきりと認識した。地球生まれの私は、過去の記憶のほとんどを失い、知らない極寒の惑星にいる。
私には、知識―おそらく地球で生活していたころの―もそれなりにあるようだが、自分に関することは何も思い出せなかった。
見慣れないのは植物ばかりではなかった。この極寒の環境にも適応した動物がいるのだ。地球の牛くらいのサイズの背中に鰭をもつ4本足の動物の群れがこちらに向かってきたときは身構えたが、私の姿を認めると、方向を変えて遠ざかっていった。
危険な動物でなくてほっとしたが、知っているどの動物にも似ていない生物は、私が異星にいることの紛れもない証拠であった。
♦
信号の発信位置は小高い丘の向こうだった。
丘を登ると信号の発信位置が直接見えた。
信号の位置と思しき場所には、明らかに何らかの人工物……金属のような光沢と、塗装されたと思われる鮮やかな赤と白、詳しくは見えないが、煙を上げている。
あれは乗り物だ。
直感でそう感じた。私の胸は高鳴る。
乗り物だとするなら誰がそれに乗ってきた? それはひょっとして私ではないのか。乗ってきたなら乗っていくこともできるのでは?
ハザード対策と生命維持に目をやる。まだ余裕がある。辺りを見回す。さしあたり危険は無さそうだ。
その物体に向かって駆け出そうとした時、上空から轟音が聞こえた。
音の方に目を向けると、見たことのない形の飛行物体が3機、地面にぶつかりそうな高さで、緑色の軌跡を残しながら飛び去っていくのが見えた。
私の他にも生命体がいるのか。それは希望に他ならなかった。
飛行する乗り物があり、それを動かせる生命体が少なくとも存在する。目の前の物体も同じように飛行できる乗り物だったなら。
改めて周囲を見回すと、私はその物体に向かって早足で近づいていった。
♦
近づいてみるとやはり、その物体は乗り物に見えた。
ガラスが張られたコックピットのようなもの、2対の翼のようなもの、ジェットエンジンと思われるもの。これは飛行する乗り物だ。飛行機、いや宇宙船か。
煙を上げてはいるが、外部の損傷は大きくなさそうだ。付近にはこの船から運び出されたと思われる荷物や、球形の物体―これが信号を発していたのでおそらく救難ビーコンの類―が散らばっている。
ひと抱えほどある球形の救難ビーコンに触れてみる。外装の一部が剥がれており、中に詰まった機械部品が露出している。
その中で何かが蠢いている……赤く光る塊。金属のような光沢を持ちながらも、流体のように形を変えている。拍動しているようにも見えた。
赤い塊は表面を波立たせ、形を変えながら蠢く。そしてそれはこちらを見た。
目どころか顔もないそれが、確かにこちらを見たように感じた。視界に歪んだ文字列が流れてくる。
―シナリオ:イテレーション#231187661T [削除済み]
境界分離に失敗した可能性
船体 [16] は無人。原因:[センチネル|干渉|慎重な移送]
分析:新たなイテレーションを生成済み。アノマリー制御準備完了。
赤い塊は空中に浮かぶと、弾けるようにして消滅した。
視界に映る文字列が入れ替わる。今度は先程の文字のように歪んではいなかった。
// 信号を受診 // トラベラーアノマリーを検知 //
アノマリーは従属的。位置を記録。システム健全性スキャン開始。
文字はすぐに消えた。
ここに来るはずだった何者かは、何者かの干渉により来られなかった? それは私、あるいは別の誰か?
謎を残したまま、ビーコンは沈黙してしまった。
あの赤い物体、そしてどこかへの通信。救難信号が送信されたのか。ここに救助がくるのだろうか。
考えていても仕方がない。救助が来るかどうかもわからない。
救助が来ない可能性も考えると、船が修理可能か調べてみる必要がありそうだ。
私は、たった今墜落したかのように煙を上げる船へと近づいた。
【続きはこちら】
※No Man's Sky(ノーマンズスカイ)のストーリーを作者が独自の解釈を元に小説にしたものです。実際のゲーム内容とは異なる場合があります。
Youtubeチャンネルでノーマンズスカイの攻略解説動画を公開中!