なんでもリモートワークの流れの中で、これから必要なテクノロジーとは
※内容的にはYoutube配信している番組とほとんど同じなのでそちらを見てもらってもいいです。テッカル #1 リモートワークの未来!03.25.20
新型コロナウィルスの影響で、日々の生活、日常的な業務を進めるが中々難しい状況が続いている。私もメインの業務は研究者であるが、会議は基本的にZOOMなどを利用したオンライン会議に移行している。ボストンの知人の研究者はラボが使用できなくなり、機材を自宅に移動させて研究しているという。これがいつまで続くかわからないが、こんな状況の中で、以前のような描いていた未来像から、何となく各人が違う未来へシフトしているような気がしているのではないか。会議に限ってもフィジカルな対面が大事などと言っていた連中も、遠隔会議いいじゃんってなってこれから遠隔があたりまえになるかもしれない。
ちなみにこの文章を書こうと思ったきっかけは、私が今月で今の所属から異動予定で、最終トークについて考えていたのだが、この状況のせいで、今後やることをゼロベースで考え直すきっかけになったからだ。
遠隔コミュニケーションの未来
それで、話を戻すと、遠隔前提の社会になって、例えば国内や国際会議も軒並み延期やオンライン開催でやっている。私もこの前、共著で発表予定だったインタラクションという学会にオンラインで参加したが、登壇発表は割と物理空間とそんなに変わらなかった。会話のみの遠隔での対話というのは、正直不満はない。しかし、その後のデモ展示は中々遠隔で伝えるのが難しいものがあった。フィジカルなモノは、触りながら体験するのが自然であるし、伝える側も難しい。特にハプティクス技術や味覚系の研究は遠隔では成り立たない。
そうしたときに、平面のピクセルで表現されるディスプレイの限界を感じる。例えばピンが上下して半立体を表現する立体ディスプレイなども研究開発が進んでいるが、こうした技術はより形を遠隔で表現するのには助かる。最近はブラックパンサーなどの映画の中でも登場していたりする。私も、立体ディスプレイと真空成形技術を組み合わせて、半立体を数秒で作れる技術開発などにも取り組んできた。
遠隔コミュニケーションは、対面のときに不可欠な要素を抽出して、どう遠隔でも近い形で表現できるかを考えるべきである。例えば、音楽ライブなどでも、現地にいくべきといって今回集団感染が引き起こされた。音楽ライブでの現地での魅力を、遠隔でも表現できる方法を模索すべきだ。また遠隔ならではの楽しみ方もあるだろう(現地では見れない視点など)
自給自足の未来
もう一つ必要に感じるのは、物流の改善である。これだけテクノロジーが発達してるのに、マスクも買えない世の中どうなの(しかもデマでトイレットペーパーも買い占めされていて、人類の知能がついていってない感)。シェアリング・エコノミーの弊害で、転売業者が乱立しているのも痛い。昨年10月の台風19号のときも、物流がストップしてスーパーなどに商品が並ばないことが多々あった。その時も、必要にかられて自宅でフードプリンタとか作って食べ物自給自足したりしていた。
今回のコロナウィルスに関しても、世界中の研究者とかメイカーが、3Dプリンタで作れるマスクとかを自作してデータを公開している。また、イタリアの病院では呼吸器のバルブが手に入らなくなって、3Dプリンタでこしらえて人命を救ったというニュースも。私もレーザーカッターでマスクを作って、型紙を公開したりしてた。ただこうした流れ、いいんですが、安全性や信頼性などの課題が残るので、現状自己責任になるんだけど対策も必要。
しかし、物流がストップしたら、現地に有るもので自分でこしらえる自給自足は必要だと思う。手作業でもいいし、機械に頼って自動で作るのも自作。自作のためのハードウェアの開発も大事だけど、設計をどうするのかの問題もある。データをシェアして、作って貢献した人が評価される社会でもいいんだけど。自分で考えて生み出すことも必要。
以前、宇宙ステーションISSで星出宇宙飛行士が船外活動でボルトを閉めようとしたんだけど、ホコリが溜まって閉めれなかった。しかし、ゴミを掃除する専用の工具を忘れてしまった。そこで船内にあった歯ブラシと持ち手を組み合わせて専用の道具を作って解決していた。まさにブリコラージュ。
こうした発想力は、自分で生み出せたらいいんだけど、将来的には機械学習とか使って、組み合わせの発想も支援できるかもしれない。遠隔コミュニケーションと自給自足の未来について、みながそんなに色々なものに頼らずに生きていける社会が実現できるといいなと考えてる。実現のためのアイデアも少しずつ考えていて、家庭内での循環型社会なんだけど、それはまた別の文章で。