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似非マスカラス、ブロディ刺殺事件犯人の相方、プエルトリコの正統派覆面レスラー…カリブの弾丸と呼ばれたロベルト・ソト【1981年の国際プロレス外国人レスラーファイル/ジ・インベーダー(インベーダー2号)編】
1981年の国際プロレスに参戦した外国人レスラー物語
崩壊して40年。
今なおオールドファンの心を離さない伝説のプロレス団体・国際プロレス(以降は国際と表記)。
そんな国際が崩壊した1981年に来日した外国人選手のレスラー人生をスポットを当てた「1981年の国際プロレス外国人レスラーファイル」。
今回は、1981年1月に開催された「新春パイオニアシリーズ」に参戦したジ・インベーダーを取り上げたい。
国際ではジ・インベーダーで参加したが、主にインベーダー2号というリングネームで活躍したプエルトリコの中堅レスラーである。
2号が存在しているわけで、1号も存在している。インベーダー1号は、あの忌まわしき「ブルーザー・ブロディ刺殺事件」の主犯であるホセ・ゴンザレスである。
プロレスファンにとっては天敵ともいえるゴンザレスのタッグパートナーとして組んできたジ・インベーダー(インベーダー2号)とはどのようなレスラー人生を歩んできたのだろうか?
兄もプロレスラー、デビュー後アメリカでキャリアを積む
ジ・インベーダーことロベルト・ソトは1948年9月12日プエルトリコ・サンファンで生まれた。実は兄のマヌエル・ソトもプロレスラーである。
1969年にプロレスデビューしたロベルトは兄マヌエルと共に若手時代からアメリカでニューヨークのWWWF(現・WWE)やフロリダやジョージアのNWAエリアでキャリアを積んだ。
178cm 97kgと今でいうジュニアヘビー級の体格ながらジョージア・ヘビー級王者になるなどヘビー級で活動していく。得意技はドロックキックとフライング・ボディアタックだった。
1974年には新日本プロレスで初来日を果たし、アンドレ・ザ・ジャイアントと組んで、アントニオ猪木&坂口征二が保持していた北米タッグ王座に挑戦したり、二度目の来日となった1977年3月には第4回ワールドリーグ戦に出場している。
アメリカでレスラーとして経験を積んだロベルトは地元プエルトリコの老舗団体WWCで、インベーダー2号というマスクマンに変身。そこであのインベーダー1号ことホセ・ゴンザレスとコンビを組むことになる。正統派タッグチームとして、WWC世界タッグ王座やWWC北米タッグ王座に輝く。またザ・ファンクス(ドリー・ファンク・ジュニア&テリー・ファンク)と抗争を繰り広げた。
なぜか似非マスカラスとなり、国際に来日
そして1981年の国際プロレス「新春パイオニアシリーズ」でジ・インベーダーというリングネームを名乗り来日。
そこで、"伝説のプロレスラー"ルー・テーズの冠がついた「ルー・テーズ杯争奪戦」の予選に参加したのである。
「ルー・テーズ杯争奪戦」とは経営不振に喘いでいた国際の社運がかかった企画だった。優勝者にはルー・テーズから寄贈されたチャンピオンベルト(テーズ・ベルト)が贈られることになっていた。予選リーグは、「'81新春パイオニア・シリーズ」で前期予選、「'81スーパーファイト・シリーズ」で後期予選を実施。日本人選手は前期・後期各予選の通算勝率上位4名が決勝リーグへの出場権を獲得、外国人勢は前期予選・後期予選とではメンバーが異なり、各ブロック首位もしくは敗者復活戦に勝利した選手が決勝リーグへ進出するものとされた。秋に開催予定だった決勝リーグは、予選を勝ち抜いた選手以外にも、テーズと国際プロレスが推薦した選手が出場する予定だった。
ロベルトはなぜか”仮面貴族”ミル・マスカラスによく似ているマスクを着用し、Bブロック予選リーグ戦に参加し、2位になる敗者復活戦に進むも敗退し、決勝リーグ戦に進出することはなかった。
そして1981年秋に国際プロレス崩壊により「ルー・テーズ杯争奪戦」決勝リーグ戦は開催されることはなかった。
最後まで正統派レスラーとしてリングを去る
その後もロベルトはWWCとアメリカWWF(現・WWE)を転戦。プエルトリコでは”呪術師”アブドーラ・ザ・ブッチャーと抗争を展開している。
また日本には1991年5月にFMW、1993年8月W★INGプロモーションというインディー団体で来日している。そこではインベーダー2号としてリングに上がっている。
ロベルトは1998年のWWCのビッグイベントを最後にフェードアウトしている。若手時代はアメリカで経験を積み、やがて地元プエルトリコで正統派マスクマンとなり、最終的には覆面レスラーとしてリングを去った。
プロレスラーとはベビーフェースになったり、ヒールになったり、時と場合によってそのポジションが入れ替わるものだが、中継の正統派レスラーであり続けたというのはなかなかレアケースだと思われる。
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