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まるでグレート・ムタ!?幻の東洋人ペイントレスラーARAYA

私はかつてアメブロで更新していた人気企画「俺達のプロレスラーDX」で荒谷望誉を取り上げたことがある。


天龍源一郎の後継者になれなかった器用なのんびり屋さん/荒谷望誉【俺達のプロレスラーDX】


素材はよかったし、器用でプロレスセンスもあったが大成することなく荒谷は2009年、41歳で引退している。


そんな彼がプロレスキャリア2年、26歳の若さでIWA JAPANというインディー団体のエースとなった。荒谷の潜在能力が上層部から買われたからである。


だがIWAJAPAN旗揚げ当初は荒谷の不甲斐なさがかなり目立っていた。

W★ING崩壊後にフリーとして参戦していた金村ゆきひろ(後の金村キンタロー)が大暴れして、外敵として団体を荒らしていたのだ。

そんな時に金村と荒谷の一騎討ちが後楽園ホールで決まった。その直前に荒谷は岡野隆史(W★INGや大日本、FREEDOMSでジ・ウィンガーというマスクマンで活躍していたが、この時期は素顔で闘っていた)とメキシコ遠征に旅立った。そこでグレート・ムタのような東洋人ペイントレスラーに変身した。


その姿で荒谷は金村戦に挑み、非情に徹し見事に金村を破ったのである。


そのペイント姿から当時の週刊紙は「ARAYA」と明記していた。


荒谷のペイント姿は本当にかっこよかった。だがその後、荒谷はエースとして苦闘が続き、
IWAJAPANを去り、WARに移籍していった。


そして東洋人ペイントレスラー「ARAYA」は二度と姿を見せることはなく、幻となった。


荒谷望誉、素材やプロレスセンスは一流だった。だがプロレスに対して貪欲さに欠けていた。そこさえあれば間違いなく天龍源一郎の後継者になれていた男。

そういえば、荒谷が引退する一年前の2008年5月のハッスルで、当時58歳の天龍は荒谷(リングネームはあーちゃん)とタッグマッチで対戦し、 ラリアットで勝利した後にマイクで怒りを爆発させたことがある。

「荒谷、オレは昔、お前に3ミリオン(300万円)つぎ込んだことがあるんだよ。なんだ、このザマは。オレは情けなくて涙が出る」

「ファイティング・オペラ」と呼ばれたハッスルはどこか演劇寄りのプロレスを展開するリングだったが、この天龍の言葉は「お前、何やっているんだよ!」という怒りと悲しみが詰まった本音だったのではないだろうか。

潜在能力は抜群なのに、遂に覚醒することなくリングを去るレスラー達は多い。荒谷は長年、覚醒を望まれていたレスラーである。それでも潜在能力を爆発して、トップレスラーになることなく引退していった。

本当にもったいない。

だが、その潜在能力という見えないライバルと誰よりも闘っていたのは荒谷本人なのだ。一番、悔しい思いをしてリングを去ったのは本当は荒谷だったのかもしれない。

 

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