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そろそろデジタルテクノロジーを「誰かの体験を良くするため」に使いませんか?

先日こんなTweetをしました。

端的にいうと「あるサービスのメール通知を停止する方法がわからなくてアカウントを消した」という話です。企業が良かれと思って送ったメール通知がきっかけで、大事なアカウント情報が消されてしまう。僕の仕事柄、「体験を損ねると顧客は離脱するよね」と知った風に言っていましたが、実際にこの自分の行動を振り返って「こういうことかー」と妙に納得してしまいました。

これをきっかけに、改めてデジタルと顧客体験をめぐるあれこれに思いを馳せることとなりました。そんなわけで今回は、僕たちは一体何のためにデジタル領域のテクノロジーを使えばいいんだっけ、みたいな話を書きたいと思います。

ちなみに、僕が現在働いている会社は「あらゆるサービスの顧客体験を向上させたくて震える」みたいなところなので、この記事の内容はたぶん多分にバイアスがかかっています。ただ、僕自身がそんな価値観に共感してその会社で仕事をしているので、そのバイアスも含めて僕の意見ということで許してください。


「メール」というテクノロジーと劇的なコストダウン

まず冒頭でメールの話をしたので、「メール」というテクノロジーについて考えてみます。ただし、企業活動の中にメールが登場した頃に僕はまだ働いていなかったので、事実を元にした想像です。

さて、日本語では電子メールのことを「メール」と略しますが、本来mailとは英語で「郵便制度」とか「郵便物」といった意味です。要するに「メール」や "email" とは、郵便の代替であったわけです。

企業が顧客に何かを伝えたいときも、「メール」が無かったときは郵便制度を使っていたはずです。販促のための印刷物を郵便の仕組みを使って送ることを「ダイレクトメール(DM)」と言います。どっちも呼称に「メール」が付くのでわかりにくいですが、少なくとも日本のマーケティング界隈では「DM」は印刷物の郵便、「メール」や「メールマガジン」は電子メールの意味で使われています。

前置きが長くなりましたが、テクノロジーの進歩によって、企業が顧客に何かを伝える手段の1つである紙のDMが電子メールに変化しました。DMからメールへの変化によって変わったことはたくさんありますが、企業にとってインパクトが最も大きかったのはおそらくコストです。

はがきDM: 約50円〜 / 通 (参考: ラクスル料金表
メール: 約〜0.1円 / 通(参考: SendGrid料金表

相場をざっと調べると、はがきDMは約50円かかるのに対して、電子メールを1通送るのにかかるコストはおよそ0.1円以下です。なんと、はがきDMを送るより、電子メールを送った方が、500倍も安いのです。テクノロジーは、企業が特定の顧客に情報を届けるためのコストを、1/500にしてしまいました。これを劇的な変化と言わずして、何を劇的というでしょう。

コストが下がるというのは、素晴らしいことです。単純に企業がそれまで送っていたDMがすべてメールに置き換え可能だとすると、DM送付に使っていた予算のほとんどを削減できるはずです。(実際にはDMもまだまだ健在ですが。)コストが浮いたら、その分もっと良い商品を作ったりより安く商品を提供したりするのにお金が使える。企業からすれば、同じコストで売上を上げられる。顧客からすれば、今まで買っていた商品の質が上がったり安くなったりする。まさにWin-Winの関係です。

もちろん本当にそうなった部分もあるでしょうが、ご存知の通り、現実は良いことばかりではありませんでした。

テクノロジーが可能にした「精密な効果測定」

同じくマーケティングの領域でテクノロジーによって大きく変わったものといえば、Web広告です。Web広告の最も革新的なところの1つは、ミクロな単位で精密な効果測定ができるようになったことだと思います。

たとえば駅に広告看板を出しても、それが何人に見られ、何人の行動を促したのかは、その駅の利用者数などから推定するしかありません。一方、Web広告の場合は、ある広告を表示した人の何人がそれをクリックしたのかが正確にわかります。それが自社のWebサイトに遷移させる広告であれば、その遷移時のURLに広告を識別するIDを付与しておくことで、サイトに来たユーザーがどの広告をクリックして来た人なのかも特定することができます。

広告の正確な効果測定ができるということは、その広告を出す企業から見ればとてもありがたいことです。どんな広告を出せばいいかわからないような状況であっても、とりあえず何パターンかを一定期間出してみれば、結果的にどの広告のクリック率が高いかがすぐにわかります。Web広告は、すぐにエンドユーザーからのフィードバックが得られるので、短期間で「正解」に近づけることができるのです。

Web広告のクリックに限らず、メールの開封やクリック、Webサイトやアプリの閲覧行動など、デジタル接点でのユーザー行動はそのほとんどが収集可能です。「行動データが取られる」というと不快に感じる人も多そうですが、ユーザーとしても本来はメリットのある話です。たとえば不快な広告やメルマガが送られてきても、仮にその不快感がクリック率に正確に反映され正しく企業側に伝わるのであれば、自然と淘汰されるはずです。テクノロジーの進歩によって「きめ細やかなデータ」が取れるようになり、企業とユーザーの双方にとって価値あるコンテンツだけが生き残る。さらにデータから明らかになったユーザー毎の属性や行動から、個々のユーザーに最適な情報がサジェストされる。

テクノロジーの進歩によって、まさに企業とユーザーにWin-Winの関係がうまれるはずでした。

テクノロジーが吹けば、顧客体験が下がる?

しかし実際にはどうなったかというと、すべてがうまくいったわけではありませんでした。

購読した覚えがないのにとめどなく送られてくるメルマガ。アダルト色の強い過激なバナー広告。劣等感を刺激するYouTube広告。検索上位に出てくるのに内容の酷く薄いアフィリエイト記事。一部の人はクリックするけど、大半の人にとって体験が悪いような、そんなメッセージがインターネットに蔓延っています。もちろん一部の悪い例が目立っているというのもありますが、多くの人の目に触れるほど数が多いというのも事実です。

またこうした悪い体験に対して、テクノロジーで対抗する動きも出ています。

たとえばGmailを使っていると、マーケティング目的のメールが「プロモーション」というタブに勝手に分類されます。これによって、雑多なチラシの中から重要な郵便物を探すような不毛な作業をしなくてもよくなりました。

ブラウザ拡張機能を使ってWebサイトの広告を一律で非表示にする「広告ブロッカー」も普及し始めています。最近ではBraveというWebブラウザが話題になっています。Braveはブラウザとしてデフォルトで広告をブロックする機能を備えていて、逆にオプトインして広告を閲覧するとその分だけポイントが貰える、という面白い仕組みになっています。

一律にメルマガや広告を見えなくしようというこうした動きは、テクノロジーの新たな進化という意味では面白いですが、本当に良い商品を適切なユーザーに届けようと真面目にマーケティング活動に勤しんでいる企業側の担当者の気持ちになると、とても悲しい事態に思えます。またエンドユーザーにとっても「本当は知りたかった情報が知れなくなる」という機会損失もあるでしょう。

もちろん「そもそもメールやWeb広告の仕組み自体がオワコンである」と断じることは簡単ですが、新しいメディアが出てきたとしても、デジタルと顧客体験をめぐる根本的な考え方を見直さないと、同じようなことが繰り返されるような気がしてなりません

短期的な「効果」の測定で失われたもの

前述のように、デジタルデバイスの普及やデジタルテクノロジーの進歩によって、誰でも低コストで発信でき、すぐにその「効果」がわかるようになりました。

ここでいう「効果」とは、「どのくらいクリックされたか」とか、「どのくらいのコストで顧客を獲得できたのか」といった数字です。こうした数字がすぐにわかるようになったことで、この「効果」を最大化するための活動が効率的にできるようになりました。

問題なのは、ここでいう「効果」が企業が長期的に生み出すべき価値をどれだけ正確に反映しているかということです。たとえば、「どのくらいクリックされたか」を追い続けると、当然「もっとクリックされる割合が高い広告を出そう」ということになります。そこで考慮されるのは「一部の人にいかにクリックさせるか」であり、残念ながら「クリックしなかった大半の人がどう感じたか」は無視されがちです。その結果、「多くの人にとっては不快だけど過激でつい内容が気になるもの」が「効果の高いもの」と判断されてしまいます。

「どのくらいのコストで顧客を獲得できたのか」を見てメールを送るようなシーンでも同じようなことが起きます。メールを1通送ることの表面的なコストは0.1円以下です。メルマガを1,000通送るとそのうちの1人がメール経由で商品を購入してくれることがわかったとします。そのメルマガの顧客獲得単価は単純計算でも100円以下です。「100円払って顧客を1人獲得できるなら、なるべくたくさんのメルマガを送った方がいい」という判断は、商材によっては十分にありえます。しかし残念ながら、ここで計算された「効果」には大量に届くメルマガによってそのブランドのことが嫌いになった人の気持ちというのはあまり反映されていません。

人は測定可能な数値を見つけると、その数値を最大化することに集中してしまいがちです。企業全体としては社会的意義の高いミッションを掲げていても、それぞれの部署に売上目標が割り当てられ、それに必要なマーケティング施策の「効果」が算出され、その短期的な「効果」を上げるための効率化が進められる。テクノロジーによって「短期」に効く「部分最適」のための道具はたくさん増えましたが、それを積み上げた結果、大事にすべきファンが去った焼け野原しか残らないかもしれません。

そろそろデジタルテクノロジーを「誰かの体験を良くするため」に使いませんか?

そんなわけで、このような悪いデジタル体験はなくしませんか?というのがこの記事で言いたいことです。これは突然の思い付きや個人的なわがままで言っているのではなく、次の3つの理由から、企業にとっても取り組む妥当性があると考えています。

1. 顧客体験をマネジメントするためのテクノロジーはすでにある
2. 多くの商品やサービスがコモディティ化し、体験的価値による差別化の重要性が増している
3. ユーザーがデジタルメディアに触れている時間が増え、デジタル領域での体験が事業に与える影響が大きくなっている

最近では、「顧客体験」をマネジメントするためのサービスがいくつも登場し始めています。たとえばqualtricsは「あらゆるデジタルチャネル上で、顧客体験を測定し最適化」することを謳ったサービスです。Webやアプリ上での体験の中に溶け込んだアンケート取得などによって、これまで数値化しにくかった「体験価値」の測定を可能にしています。結果、これまで施策の「効果」の測定で考慮されてこなかった「ブランド毀損」などもある程度推定して計算に入れることができます。施策の結果を判断するための数値を、もっと企業が目指す本質的な価値を反映するものに変えようぜ、というアプローチです。

CXプラットフォームでいうと、(完全に手前味噌ですが)KARTEという素晴らしいサービスが日本にあり、自社のWebサイトやアプリ上でのユーザー行動を解釈し最適なアクションを配信することができます。こうしたサービスを使えば、それぞれのプロモーション施策が顧客体験に与えている影響を分析したり、サイトやアプリ上の体験を向上するためのパーソナライズされた施策が簡単に実現できたりします

2つ目に、多くの商品やサービスがコモディティ化したことで、「良いモノを作ってただ広告を打てば良い」という時代は終わり、より体験的価値による差別化ができないとユーザーから選ばれないような状況になっています。これまた身内のメディアですが、企業が提供するサービスと生活者の間に生まれる体験にフォーカスを当てたビジネスメディア「XD」の記事を見ると、体験による差別化の事例が多く見つかります。

3つ目に、ユーザーとのデジタル接点の重要性が増したことがあります。これまでは「オンラインの体験がダメでも店舗に行けばいいか」となっていたところが、「どこで買うか、どこで情報を受け取るかは、全部自分で選びたい」というニーズが強くなっています。

これに関して、2019年に出版され多くのマーケターに危機感を植え付けた『アフターデジタル』という本があります。この本では、「すべてがデジタル接点となりオフラインが無くなった後で、どんなビジネスが生き残るか?」ということがひたすら書いてあります。

デジタル時代のビジネスは寄り添い型になります。スニーカーは、ユーザーにとって「健康的な生活をする」ための1つのパーツになるのです。スニーカー自体がいいモノであることはもちろん重要で、それに加えてアプリで走行距離やマラソンのイベントに参加できたり、オンライン上でスニーカーをカスタマイズできたりするといった、継続的な価値提供を融合して初めて寄り添い型になります。スニーカーという商品はあくまで、価値を体験し続ける上での「様々な接点の1つ」と見なされるわけです。

オンラインがオフラインを侵食して溶け込み、ユーザーのあらゆる行動データが一つひとつ取得できる時代になったので、そのデータをフル活用してユーザー体験を高めていくビジネスモデルを構築できます。もっといえば、そうしたモデルを早く構築した企業が勝ち残るのです。
(1-7 エクスペリエンスと行動データのループを回す時代へ)

この本でも、中国企業の例などを取り上げて、しきりに「データを使って顧客体験を良くしよう」ということが語られています。すべてがデジタル接点に変わった世界では、多くの人に長く使われ続けることで、あらゆる接点でのユーザー行動データが溜まり、そのデータを使ってさらに良い体験を実現する、という世界が待っています。その世界は、「より多くのデータを集めた者が勝つ世界」であり、同時に「ユーザーの生活に一番寄り添い愛された者が勝つ世界」でもあります。

「理想の体験」が目的であり、「テクノロジー」は手段である

この記事ではデジタルマーケティングの文脈での例が多かったですが、「データとテクノロジーで体験を良くする」というのは何もマーケティングの領域だけの話ではありません。従業員がデジタルな世界で仕事をする比重が高まれば、従業員の体験を良くするにもデジタルテクノロジーの重要性が増します。採用候補者、パートナー企業など、企業として関わる他の人たちの体験も同様です。

「デジタル」だ「テクノロジー」だと言われると、それをどう使うかという話ばかりが先行してしまいがちです。しかし、少なくとも汎用AIが実現されるまでは、「テクノロジーを導入しただけで関わるヒトの体験が良くなる」というような甘い話はありません。僕は「マーケティングオートメーション」という言葉があまり好きではありません。それは、「良い体験なんて最新のテクノロジーを使えば自動で作れる」という傲慢な感じが透けて見えるからです。

そうではなくて、「デジタルの重要性が増した世界の理想の体験とは?」ということをまず必死に考え、その実現に足りない部分を「テクノロジー」で補うという順番を守らなければ、目的もなくテクノロジーに無駄な投資することになります。

企業が関わる人の「体験」を良くすることは、慈善活動でもなんでもなく、ビジネス上の競争力につながります。ユーザーだって体験の良いサービスを使いたいし、従業員も体験の良い会社で働きたい。そのシンプルな話が、特に従来のデジタル領域では手段がなく難しかったり商慣習として軽視されたりしてきました。それが、テクノロジーや優位なビジネスモデルの変化によって、より素直に実現できるようになったわけです。

あなたはクソみたいな体験を生み出すために働きたいか?

企業としてだけではなく働く個人としても、「自分の仕事が誰かの体験を良くしている」という価値実感を持つことは、楽しく働く上でとても重要です。

オフラインが当たり前だった時代においては、店舗に行けばユーザーが目の前にいて、その体験に手触り感がありました。しかし、オンラインでの接点が増えた結果、逆に企業とユーザーの距離が離れてしまったように感じる人も多くいるような気がします。ユーザーの行動はデータ化され、アナリティクスツールによって切り刻まれ、CTRとかCPAとかCVRといった数字に変換されてしまった。その数字に「人っぽさ」はすでに無く、その数字を見ながら「体験ガー」と言っても何の現実感もありません。言い換えると、われわれは「デジタルの領域でもユーザーやその体験の手触り感を感じるための視点」を獲得する必要があるのかもしれません。

大抵の会社やサービスは誰かを幸せにしたり笑顔にしたり楽にしたりするために始まったはずです。そこで働くあなたもきっとそれに共感していたでしょう。ここまで話したことは考えてみれば単純な話で、デジタルな世界においても自社が提供すべき顧客の体験に真摯に向き合い続けるためにできることをやりましょうという話でしかありませんもちろん言うは易しで、ただ目先の数字を最適化するよりよっぽど難しい挑戦です。求められるスキルや考え方がガラッと変わり、それに適した組織構造や事業ポートフォリオは今とは全く違うかもしれません。それを変えていくという大工事が、たとえば最近では「DX(デジタルトランスフォーメーション)」という言葉で表されていたりします。

僕やあなた個人の話としても、せっかく働くならきっとクソみたいな体験を量産するより、ファンを増やすような素敵な体験をつくり出したいはずです。そのためには、データから人の気持ちを想像し、デジタルテクノロジーと人間が手を取り合ってより良い体験を生み出していくようなサイクルを回す必要があります。そのためにも、デジタル世界の中で働くためのリテラシーが全員に求められるわけです。


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