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目的なきDXには、CXという指針を

どうも、エンジニアのgamiです。

最近、『CX戦略』という本を読みました。

CXはCustomer Experienceの略で、直訳すれば顧客体験です。「CX戦略」とは、雑に言えば「売上ではなく顧客体験をまず重視しよう」という事業戦略のことですね。

こう言うと「接客業かな?」とか「感情論かな?」とか思うかもしれません。しかし、実際にはほぼ全ての企業の競争優位性に関わる話です。またテクノロジーやDXの話とは切り離せない関係にあります。先に結論をいうと、CXはDXに目的を与えてくれる存在といえます。


CXによる市場のディスラプト

まず、なぜCXが重要かについての前提を揃えておきましょう。

よく言われる話として、現在多くの商品やサービスの機能や性質は、コモディティ化しています。コンビニのお弁当は全部美味しいし、主要家電メーカーのドラム式洗濯機はどれも多機能です。各社が同じような商品やサービスを似たような価格で販売しています。機能や性質による差別化が難しくなると、あとは価格競争になるのが世の常です。2010年代の牛丼チェーンの値下げ競争が記憶に新しいですね。もちろん、価格競争には限界があります。一時的にコストカットに成功しても、すぐに競合に真似されて追いつかれてしまいます。

そこで重要になるのがCXによる差別化です。『CX戦略』の中でも様々な調査結果を取り上げて「CXが企業収益に貢献する」ことが説明されています。

CXでは感情的な価値を訴求する。つまり、顧客を感情的に満足させることを目指す。顧客が感情的に満足すると顧客ロイヤルティが高まり、再購入・継続・接触回数・アップセル・クロスセルが高まって収益向上につながる。これが、CXが企業収益に貢献する仕組みである
(『CX戦略』4.1 CXと企業収益には相関関係がある)

『CX戦略』では、CXは単なる「顧客満足(CS, Customer Satisfaction)」と明確に区別されています。顧客がある商品に満足している場合でも、それを他人に勧めたいとまでは思っていないケースはよくあります。「他人におすすめしたいと思うくらいに顧客のロイヤルティを上げる」というのが、CX改善のイメージになります。

近年、日本の様々な市場が主に米国の新興IT企業によってディスラプトされつつあります。そこには、圧倒的なCXの差があるケースがほとんどです。Amazonは「ECでワンクリックで購入した商品が翌日までに届く」という圧倒的なオンライン購買体験を実現しました。Netflixはスマホでもテレビでも好きな映像作品をいつでも見られる視聴体験によって顧客に支持されています。友人や同僚との会話でも、「まだAmazon使ってないの!?」とか「まだNetflix契約してないの?!」といった発言が自然と出てきます。CXによる差別化が十分にできていると、顧客はそのサービスから離れられなくなります。またロイヤルティの高い顧客が口コミによって勝手にサービスを広めてくれるようになります。企業はCX戦略によって優良顧客の層を積み上げていくことで、継続的に収益を伸ばし続けることができるわけです。

テクノロジーがCXを主役にした

当然ながら、人は商品を買う前後にも生きて何かを体験しています。自社サービスのCXについて考えるには、顧客を時の流れの中で生活する人間として捉え、一連のカスタマー・ジャーニー全体における体験を設計する必要があります。

CXが対象とする価値提供の単位は、(中略)一連のカスタマー・エクスペリエンスである「カスタマー・ジャーニー」となり、商品・サービスはその一部という位置づけになる。管理する単位もカスタマー・ジャーニーとなり、個々の商品・サービスだけにフォーカスせず、カスタマー・ジャーニー全体の価値(CX)を高めていくことを目指す
(『CX戦略』3.3 CSとCXを比較する)

具体的には、顧客と継続的に接点を持ち続け、状態を把握したり体験を届けたりすることがより重要になります。

当然これまでも、特定の業界ではCXによる差別化が行われていました。たとえば高級ホテルやレストランでは、常連客と電話などで定期的に接点を持ち、来店の期待感を高めたりアフターフォローがされたりしていました。

一方で、顧客と継続的に接点を持ち続けるのが難しい業界やサービスも多くあります。たとえば自動車の買い替えサイクルは5〜10年ほどです。自動車メーカーやディーラーが購買時にしか顧客との接点を持っていない場合、1度接した顧客と次に接することができるのは5年以上先ということになってしまいます。もちろんその間も継続的に自動車には乗っているわけですが、企業側はその間に顧客が体験することについてあまり知ることができないのが普通でした。

近年CXが盛り上がっているのは、所謂デジタルテクノロジーの普及によって実現できるCX施策の幅が大きく広がったためです。顧客のほとんどがスマートフォンを持ってインターネットに常時接続されている今、アプリなどのデジタル接点によって企業が顧客とつながる余地が増えました。自動車の例でいえば、中国の新興自動車メーカーであるNIOはオーナー向けのアプリやイベントによって継続的に顧客接点を持ち続けています。

NIO HOUSEのイベントに行くと、店舗スタッフや参加している他のNIOユーザーと仲良くなり、アプリに戻ってその人の投稿やステータスを見に行きます。友達登録やその人の記事をSNSでシェアすることでポイントがたまっていくのでアプリ上でできることが増え、するとイベント情報も以前より見るようになって、店舗のイベントに行くとアプリで見た投稿が話のタネになって盛り上がり、新たな友達ができるので、またアプリに戻ってできることが増えていきます。新しいモデルの車が出るときには、アプリ上で新車に興味を持っていそうな行動を取っている人に試乗のお誘いも届きます
(『アフターデジタル2』3-3 「デジタル注力」の落とし穴)

顧客は良い体験に対してお金を払います。企業は本来、ただ継続的にお金を払ってもらえるような体験を設計しそれをストレートに実現すればいいはずです。しかしこれまでは、テクノロジーの限界によって顧客の体験を継続的に把握したり実装したりができないケースがほとんどでした。その限界が近年突破されたことによって、企業がピュアに顧客体験の改善にトライできるようになったわけです。

まとめると、テクノロジーの普及によって企業が提供できる体験のバリエーションが増えた結果、競争優位性の源泉となるレイヤーが商品自体の価値という低いレイヤーから顧客体験価値というより高度なレイヤーに移ったと言えそうです。かつてのコストカットによる価格競争と同じで、顧客戦略についても「競合がやっていて自社もできるならやらないとやばい」という状況になりつつあります。

CX指標がCX戦略を加速させる

テクノロジーは、顧客へのアクションだけではなく、継続的なCX指標の計測も可能にしました。

普通、企業が自社の事業や施策を評価する際には定量的な指標が使われます。最もわかりやすいのは売上であり、これまでも多くの施策評価が売上ベースで行われてきました。「このDMを送ったらいくら売上が上がるのかね?」といった具合です。さらにはその指標と相関する別の細かい指標が特定され、KPIツリーを作って個々の指標を改善する具体的なアクションに落とし込まれていきます。

CX戦略を組織的に推し進めていくときも、「CXが改善されているのか」を定量的に図る指標やそれを集計するための仕組みが必要とされます。世界で最も使われているCX指標は、NPS(Net Promoter Score)です。Webサービスを使っていると11段階評価のアンケートがたまに出てきますね。

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(『CX戦略』3.2 顧客ロイヤルティを測定する方法)

『CX戦略』でも、NPSを全社の経営指標として取り入れつつCX戦略を成功させ収益を伸ばした企業の事例がいくつも紹介されています。

一方、カスタマー・ジャーニーの各段階にいる顧客からNPSアンケートを取得するには、実店舗の来店時に紙のアンケートを取るだけでは当然足りません。メールやWebサイトやアプリなどのデジタル接点を駆使してアンケートに協力してもらう必要があります。継続的にCX指標を計測し続けるこうした仕組みも、テクノロジーの普及によって簡単に構築できるようになりました。実際、Qualtricsなど顧客からのフィードバックをオンラインで収集できるSaaSも増えてきています。

純粋にCXを追求できる幸せな時代へ

最後に、DXとCXの関係について触れておきます。

DXのよくある失敗として、「最新テクノロジーを導入することが目的化する」というものがあります。たとえばAIを売り物とするベンダーからすればDXを目指す企業は格好の見込み顧客であり、「最先端のAIでDXしましょう!」みたいな甘言に騙されてしまう企業も増えています。しかし、顧客が自分が使うサービスを選ぶ理由はそのサービスの体験が良いからであって、決して最新のテクノロジーを使っているからではありません。どんなに最先端のAIを裏側で使っていたとしても、顧客からすれば知ったことではないわけです。

DXとはデジタルを前提にして事業や組織を変革することですが、そこでもデジタルテクノロジーは手段に過ぎません。変革には目的が必要ですが、その目的は決して「デジタルテクノロジーの導入」であってはいけません。じゃあ何を目的とするかというと、「圧倒的に良いCXの実現」が有力な候補になるというわけです

これまで見てきたように、価格競争の罠に囚われずに継続的に収益を上げ続けるには、良いCXを提供し顧客ロイヤルティを上げ続けるのが重要になります。そして今の時代に即した最良のCXを考えると、半ば必然的に顧客とデジタル接点を持つ必要が出てきます。そこで初めて手段としてデジタルテクノロジーを導入しようとなるのが、合理的な意思決定というものです。

またCX戦略はカスタマー・ジャーニー全体を管理します。一方で従来の組織は、広告や販売やカスタマーサポートなど、顧客接点ごとに部署が分かれています。とするならば、カスタマー・ジャーニー全体のCX改善は部署を横断して解くべき課題になるはずです。これこそが、DXが部署横断的な組織改革を含意する理由であり、組織改革もまたCXを目的とした場合の手段に過ぎないといえます

これがDXとCXの関係です。端的に言えば、CXこそが目指すべき目的であり、DXというのはそのための手段にすぎないということですね。

さて、CX戦略が支配的になったことでは、働く個人にとっても「楽しく働くこと」を実現しやすくなったと僕は思います。これまでは、「顧客体験を上げる」という理想を掲げていても、実際にそれを測ることもできなければ、メーカーなどは直接顧客と接点を持つこともままならない状況が続いてきました。しかしデジタル接点が増えたことで、あらゆる業界で企業の従業員と顧客との距離はグッと近づきました。これは、従業員が提供価値実感を持ちやすくなったことを意味します。純粋にCXを追っていれば自分の仕事が成立するというのは、幸せな時代になったなあと思います。

「顧客体験価値の向上という理想を直接的に追い求めることが、事業戦略上も重要になった」というゲームチェンジは、考えてみたらとてもすごいことです。もっとわかりやすく単純にいうと、「目の前のお客さんを幸せにし続けた会社が儲かります」ということです。(中略)それを現場レベルでも直接的に意識しながら働けるとしたら。自分の仕事が、顧客にとっても真に良いものだと信じられ、自社のビジネスモデル上もとても重要である。そんな状態を維持できたら、「楽しく働く」がかなり高いレベルで実現できたといえそうです。

『CX戦略』の感想

以上が、今回考えたかったことでした。

最後に、マガジン購読者の方に向けて『CX戦略』の感想をだらだらと述べておきます。(すでに5,000字を超えてますが。。。)

まずは『CX戦略』の良かったところから。この本を読むと、CXについてちゃんと説明できるようになります。CXがなぜ収益と相関していると言えるのか、CXをどのように定量化するか、CXを重視している企業にはどこがあるか、CX戦略の実現には何をすればいいのか。CXに関するこうした情報が、理路整然と並べられています。その意味で、社内でCX戦略を推進したい人に武器を与える良本といえます。

逆に悪く言えば、かなりコンサルっぽい本だなあと感じました。著者の田中さんはNRIで長く働いてきた方です。それもあって、CXを説明するためのフレームワークや調査結果や事例が淡々と並べられるばかりで、サラッと読むとあまり印象に残らない感じもありました。CXの重要性を直感的に伝えるには、もっと現場感のあるリアルな描写や、それによって実現される社会像みたいなものが熱く語られている部分があった方が良さそうに思いました。もちろんこれは書籍としての役割の問題ともいえます。そういう本が欲しい人は、『アフターデジタル』『アフターデジタル2』を読めばいいと思います。

『CX戦略』の最後の章では、CXに関するテクノロジーの紹介がされています。ここについても、いきなりNUI(ナチュラルユーザーインタフェース)ARやAIの話が出てきて、割と唐突感がありました。数十年後の未来ではこの辺りの技術が当然のようにCXの中に取り入れられている可能性はもちろんあります。しかし今の多くの日本企業にとっては、まずSaaSをちゃんと使おうとか、ソフトウェア・プロダクトを手の内化しようとか、そういう現実的なステップを提示した方が良いのでは?と強く感じました。これも本書で語るには長くなりすぎるんだろうと思うので、『ソフトウェア・ファースト』とかを合わせて読むと良さそう。

また、人間の感情的な価値について語る割には、ブランド戦略っぽい話はそんなに出てこなかったのも意外でした。再現性が出しにくいから避けられたのかもしれません。たとえば有力なD2Cブランドは、プロダクトだけではなく雑誌やポッドキャストを駆使して自社の世界観を発信し続けたり、顧客と一緒にプロダクトを共創したりしています。こうした事例も新しいタイプのCX施策として取り上げてもいいんじゃないかと思いました。まあこれもD2Cとかを合わせて読むと視野が広がっていいんじゃないでしょうか。

色々言いましたが、CX戦略は(少なくともこの先10年くらいは)あらゆる企業で採用されていく気がするので、『CX戦略』を読んで良かったです。おすすめ。

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