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新年の挨拶やめてみた

2022年の年末から入っているコミュニティ内で年賀状を送り合うのが流行した。そのため、年賀状を送ってもらうために住所を教えることが何度かあった。
そんな流れの中、当時は喪中だったこともあり、2023年はあえて年賀状を送ったり新年の挨拶をするのをやめることにした。きっかけやその後についてつらつらと書いてみようと思う。


今まで

私はもともとそんなに人とメッセージをやり取りするのが得意な方じゃない。世間話や近況は直接会った時に話せば良いと思ってるし、仕事の関係もあって友人や関わっている人たちが多くて全国にバラバラに散っているし、その人たちと親しいままでいるために日々ラインをなんとなく送りあえるほど器用じゃない。
あと、連絡をとる前に文が不自然じゃないか、とか、前はどれぐらいの距離感で仲良くしていたっけ、とか、色々と考えてしまって送りにくいのもある。(他にやりたいことがたくさんあるのも理由としては大きい、けど)

なので、そのせめてもの償い?として、毎年のあけおめラインだけは欠かさずにやってきた。一斉送信ではなく、その人のことを思い出しながら一言一言違う文を添える。恩師には軽い近況報告を添え、遠方の友人には近くに行く時はぜひ会ってほしいと伝え、ネットで知り合った友人にはまた遊んでねと書いた。送るスタンプもその人の好きそうなものを選んで送るという謎のこだわりつき。
返事が返ってこないことはないし皆すごく喜んでくれるしそこからやりとりが数日続くこともあって、やりとりだけで元日のほぼ丸一日かかる作業だけどその時間も込みで正月休みの醍醐味みたいに感じていた。

きっかけ

2022年は始まって早々に異動があったのでそれまでの間に悔いがないように離れてしまう前に会いたい人に積極的に連絡をとって会いまくった。職場でも異動する前に他部署の人たちに積極的に話しかけてたくさん交流する時間をとった。
そうしていくうちに、私は自分で思っているよりも周囲の人とうまく仲良くなれるような関係性を築けているし、人に対して距離を感じているのは自分だけで周囲は意外と私と仲良くしようとしてくれているんだ、ということがわかった。
今までの私は仕事に慣れるので精一杯で、そういった周囲の様子に気付けていなかったんだろう。周囲は私ほど真面目すぎる姿勢を取らずにちょうどいい距離感で仕事をこなしながら、日々の周囲との交流でバランスをとっていたんだ。
なので、少し交流するぐらいの余裕なんて全然あるしそういう人から見れば余裕なくひたすら仕事熱心(?)な私はもしかしたら喋りかけにくい存在だったのかもしれない。そういう気づきを得ることができた。

また、その気づきによって、自分から連絡を取ることへのハードルが少し下がって、遊びたいと思った時に遊びたいと言えれば、新年の挨拶をしたり誕生日を祝ったりしなくても友達のままでいられるんだ、と納得できた。

その後

今までやっていたことをいきなりやめることによって罪悪感を感じたりしないか少し不安だったけど、実際は全然感じなかった。
むしろ、年始の時間を有意義に使って家族と過ごせたり行きたい場所に行けたりして休みの過ごし方のレパートリーが増えたというか、自由度が増した。好きなことをする時間も今年の自分について考える時間も例年よりたくさん取れた。新年の挨拶をしなかった分、直接会った時に一人一人ときちんとコミュニケーションを取ろうという意欲が上がった。
その後の2023年は結局、自分の周囲の人間関係について見直して断捨離し新しい人間関係を築き、その人間関係をベースに自分の健康度合いを強めてアップグレードする一年になった。そして2024年になった今、思うのは、それまでの自分は「さまざまな人と仲良くしなきゃいけない」「忘れることや捨てることは悪いことだ」という義務感で人に一定以上近づこうとしていたし、人にとって優先順位の低い(≒価値の低い)人間だと思われるのを無意識に恐れていたということだ。
自分から挨拶することをやめても、2023年も2024年も、マメな人や親しい人は新年の挨拶を向こうから送ってきてくれた。それが私はすごく嬉しかった。自分のことを大切にしてくれる人だけを大切にできるようになったような気がした。

こういった経験を通して、年賀状を送ったり新年の挨拶をした方がいいのはおそらく関わる人の人数が自分のキャパを超えていない場合であり、やった方がいいことではあるけれども、必ずしも人としてやらないといけないではないと気づくことができた。

どんな人にも時間は等しく与えられているのだからこそ、自分に必要なものを得るために使うのか不要なものを捨てるために使うのかのバランスをみて自分の交流手段を考えていきたい。

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