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#88 【映画】『ステラ ヒトラーにユダヤ人同胞を売った女』を観て
何故この作品を観たか。一つには、旅先の京都で午後時間が空き、寒い中野外を歩くことを避けるため。そして、この時代の、この辺りを取り扱った作品は、観ておきたい、と思うため。
この作品を観て最も感じたことは、極端な区分けにすると、人には安全第一で危険を侵すことなく法を遵守するタイプと、危険を顧みず我慢せず目的のためなら法を犯す事も辞さないタイプがいる。後者の道を選ぶ方には、一定数、精神的に不安定な方が含まれそう、です。
ストーリーは引用で失礼します。
1940 年 8月、ベルリン。18 歳のステラ・ゴルトシュラーク(パウラ・ベーア)は、アメリカに渡りジャズシンガーになることを夢見ていたが、ユダヤ人の両親を持つ彼女にとって、それは儚い夢だった…。3年後、工場で強制労働を強いられていたが、ユダヤ人向けの偽造パスポートを販売するロルフと出会い、恋に落ちると、同胞や家族が隠れて生活する中、ロルフの手伝いをしながら街中を歩き、自由を謳歌していた。しかし、ゲシュタポに逮捕されると、アウシュヴィッツへの移送を免れるため、ベルリンに隠れているユダヤ人逮捕に協力を強いられる。生き残るために同胞を裏切ったステラは、終戦後、裏切ったユダヤ人仲間から裁判をかけられる…。
私がステラだったら(戦時中)
「偽造パスポートを転売するロルフ」の様な危険な匂いのする男性には近づけず、まず、避けます。仮に、恋に落ちた場合、偽造パスポートを作る手助けが出来ない。更には、偽造パスポートを知人に売ることも出来ない上に、価格を釣り上げる事も出来ません。ゲシュタポに逮捕され拷問を受けるようなことがあったら、分からないことを知っている風を装うステラの様な行動には出られず、分かる範囲のことを洗いざらい話すのではないか、と思います。一方、同胞を売る、という行動が出来ず、たとえアウシュビッツに送られたら、死ぬ気で生き延びる行動を取ります。
私がステラだったら(戦後)
刑期が終わった後、ドステラの様にドイツの同じ街に暮らし続けることは出来ず、他国で暮らすことを選ぶと思います。そして、自死出来ず、ここでも、最後まで健康で生きようとしてしまうと思います。
冒険派と守備派、その間。
社会派ブロガーちきりんさんは、「世の中、冒険野郎ばかりだったら、生き残る人が少なくなる、冒険するタイプと守りのタイプがいるから世界が成り立つ」という話題をVoicyで何度かお話しくださっています。『夜と霧』のフランクルや『女の一生ーサチ子の場合』のコルベ神父など、冒険し過ぎず、信念を曲げすぎず、前向きな気持ちで暮らすことが、自分にはしっくりきます。
ステラの様な人
ナチス時代のドイツにいたユダヤ人だから、ということではなく、ステラ、のようなタイプの人はいつ、どこであっても生きづらさがありそう。そして、ステラの様に奔放な道は選べない自分との違いに想いを巡らせながら鑑賞いたしました。
今回は以上です。