都市の闇の奥
#ゾディアックの基本情報
原題 ZODIAC
製作年 2007年
製作国 アメリカ
配給 ワーナー
上映時間 157分
監督 デビッド・フィンチャー
#あらすじ
1969年バレーホでカップルが何者かに銃殺された。その数日後サンフランシスコの出版社クロニクルに一通の手紙が届く。その手紙にはハーマン湖での殺人と7月4日の別の殺人について詳細な事実が綴られていた。それとは別に暗号文も入れられていたが誰もその内容を解読できなかった。
#実際のゾディアック事件について現在わかっていること
・劇場型犯罪
・まだ犯人は捕まっていない
・犯人は複数人いる
・事件は1968年から1974年で終了している
・暗号が新聞社に送られて来ており、まだ解けていない部分もある
#三人の主人公
映画は現実に起きた事件をあつかっており、映画内の登場人物も実際に生きている。映画の中で最も描かれる比重の多いのが風刺漫画家のグレイスミスだ。グレイスミスを演じているのはジェイク・ギレンホールで彼は他の人間が事件から手を引く中、犯人を執拗に追求していく。事件について書いた著作はベストセラーになるが、無言電話がなるようになり家庭に影響が出始める。
2人目の重要な人物はトースキー刑事でマーク・ラファロが演じている。トースキーは州をまたぐ大規模な事件を解決するために捜査するが犯人を捕まえることができず、あらぬ噂をたてられ孤立していく。一度は事件から手を引いたトースキーもグレイスミスの情熱にほだされて協力するようになる。
3人目は敏腕記者のエイブリーで、ロバート・ダウニー・ジュニアが演じている。エイブリーはグレイスミスと同じクロニクル社に勤めており、ゾディアック事件に影響を受け記者としてのキャリアを見失っていく。フィルムに出てくる時間は短いが事件によって一番影響を受けた人物だと言える。
#映画は何を描いてきたか?
この映画はゾディアック事件を真正面から描いたものではない。だからこの映画を見ても謎が解けてスッキリするということはない。むしろ謎の泥沼に足首まで飲み込まれ、心のなかにしこりが残るだろう。
ではこの映画は何を描いたのか。
1つ目は事件に巻き込まれた人々の変化である。
前述した三人は事件を追うことによって傷を負った。彼ら自身が別人になってしまったわけではないが、事件をしらなかった時点には二度と戻ることはできない。
2つ目は社会の空虚さをあばいたこと。
ゾディアックは回想を除いて一度も画面に出ていない。うたがわしい人間は出てきたが犯人であるとは証明されていない。中心が存在していない中で想像上の犯人の姿が肥大化していったというのが、157分間で起きたことだと言える。
この現象を一言で言えば”から騒ぎ”ではないだろうか。
軸を見失い疑心暗鬼になっている社会の弱さがこういった現象の原因だと言える。
3つ目があるとしたら、それは匿名性についてだろう。
から騒ぎという現象を生み出したのは犯人ではない。犯人の意図を飲み込んでいったのは匿名の大衆による事件の遊戯化だ。もちろんそのすべてが、愉快犯の手によるものではないだろう。秩序を求めるもの・正義感をもつものも事件に深く関わっている。それと同じぐらい退屈や妬み嫉妬のようなものもこの騒動を大きくしているように見える。事件が風化して人々から忘れ去られそうになる時に、模倣犯や騙りが現れることで、事件が再び蘇ってくる。映画はこの繰り返されるループによって構築されているといってもいい。そしてそのループをおこしているのは主人公ではない。姿の見えない名前のない匿名の人々が、ゾディアック事件を蘇生しているのだ。まるで彼らは空虚さを埋めるために、謎がひつようだとでもいうかのようだ。映画を見終えた後の、なんとも言えないしこりとは、暗闇の中で時間をともにした人々のことを実は何も知らないのだという事実にある。
映画は、私と、私の社会と地続きにあるのだ。