読者による文学賞
2019年に発足したこの文学賞。
2020年に第1回、2021年に第2回を迎えました。
タイミングと運が重なったので、第1回から選考委員をやらせてもらっています。
(第1回は二次選考、第2回は最終選考を経験しています。)
note:https://note.com/matsu1884
HP:https://dokusyaniyoru.herokuapp.com/
Twitter:@dokusyaprize
YouTube:https://www.youtube.com/channel/UCoRsofUn7EGt65VkupeYzag/videos
どんなものかってのはHP見てもらえばわかると思うので割愛します。
選考委員を経験した感想と、思ったこと、個人的な思い入れなど書きたいままに書いていこうと思っています。
まず、本が好きな人は絶対に選考委員をやってみてほしい!!!
読めないとか、不安とか後回しにして選考委員やってほしいって強く思う。
だって、面白すぎたから。本が好きなら、知らない本、普段手に取らない本に出会ったときと、それが面白すぎたときの衝撃を感じてほしい。
自分のフィルター外からぶん殴られる感じ。なぜ、私は私に好みの制限をかけてしまっていたのだろうかと自問自答したくなるほどに。
だから、本が好きなら1回選考委員をやってほしいと強く思う。
そもそも、この文学賞の選考委員をしようと思ったことは私にとって大きな挑戦だった。私はただの“読者”。趣味で本を読むだけの、それ以上でも以下でもないただの人。価値があるのかとか、読書量とか不安しかなかった。
だって浴びるように読んでた時は学生時代。もう10年以上前の話だし、その時の主食はライトノベルと青い鳥文庫。一般文芸誌は本当にたまに読むくらいだし、歴史小説、SF、エッセイは絶対読まなかった。今は気持ちに任せて読むと月に2、3冊が限度。全く読まない月もある。こんな私がひと月に10冊読めるのだろうかと、不安にならない方がおかしいだろう。
しかもそれより不安だったのは、こんな読書経験の私が選考委員なんてものをやっていいのかどうかということ。受賞という大役に見合う本を選ぶ。選ぶ?どの権威があって?読書という娯楽を楽しむだけの人が、本を選ぶ?おこがましいにもほどがある。本当に顔を洗って出直してこいどころか、人生からやりなおしてこいと言いたいくらいだ。
そのように思っていたのに、どうして選考委員をやろうと思ったのか。
ひとえに“興味”に負けたのだった。
発足時から気になってた文学賞。今の時代にこんなにワクワクすることに挑戦する人がいるんだって、びっくりしたのをよく覚えてる。こんな面白いことが、今後の人生の中で出会えるだろうか。しかも1回目。大きくなる前のものだ。ジャニーズで言ったらJr.に受かって初めてお仕事した子にはまって、推していこうと思うくらいのことだ。
こんなこと人生で2度は絶対にないチャンス。人生からやり直したくなるけれど、やるかやらないかの2択なら「やるしかない」。
あとはちょっと、本が盛り上がることならやりたいと思った。微々たるものでも大好きな本に恩返しができるなら・・・そんな想いもちょっと持ってた。
とにかく、いろんな想いを抱えながらも腹をくくり、恥さらしでもいいからと思って応募した。そして、選考委員になった。
■二次選考のとき(第1回開催時/2020年)
最初はただ10冊本を読んで、最終選考にあげる1冊を選べばいいと思っていたから好きなように読んでた。途中からちょっと方針がかわって、各本にレビューを書くってなったからかなりきつくなった笑
ちょうどその時、仕事も忙しくて寝る時間がないくらいでとうとう仕事の方をダウンした。にもかかわらず、結局本も期限内には終わらず、ずるずると引きにばしてしまったのが大きな後悔と、申し訳なさしかない記憶。
それでも読んだ本は、面白かった。もちろん合わないってものもあったし、自分の興味外のものもあった。でもこの文学賞をしなければ、私の目にはとまらなかった本。好き、嫌いの次元ではなくて純粋に面白かった。自分のフィルターがペリペリとはがれていくのを感じた。自分の好みの制限をかけていたのは、自分自身だったと気づいた。でもきっと子供のころには感じられなかったし、今のこのタイミングだったから好みのフィルターを広げたり、強化できたりできたんだと思う。嫌いだったピーマンがいつの間にか食べられるように。
読書量とかの問題はもちろんあるけれど、二次選考で本を選ぶのは気楽だった。だって読者が選ぶ本。私が選考委員なら私のフィルターはどうしてもかかる。だから、好きだと思った本を、最終選考にあげたいと思った本をあげればいい。レビューと本の圧との格闘があるだけ。ただそれだけだった。
■最終選考のとき(第2回開催時/2021年)
純粋に去年の二次選考とあわせて、今年も関わることができて嬉しかった。
なぜなら、繰り返しになるが読書の視野が広がったから。この文学賞に関わらなければ絶対に手に取らない本、興味があっても後回しにしてしまった本とかがいっぱいあるから。ある意味この文学賞に関わること自体が、(選考委員にとっての)本の発掘になっているすごく感じた。
本に限らずだけど、何かに対して優劣をつけるのはすごく難しい。ただの読了なら「難しい」で終わってもいい。
だけど、私が思うに選考委員というのは比較して、評価しないといけないとと思ってた。どうしてこう思ったか、どうしてこの本は選べないのか、この本に対して好きなポイントはどこかなど、感覚ではなくて見ている人に正しい解釈できちんと想いが伝わるように、言語化しないといけない。その“正しい解釈できちんと想いが伝わるように言語化”というプロセスが、すごくすごく難しいのだ。
私は自分の思ったことを、人に伝えるというのが苦手だ。だから最終選考をやると言ったが本当にやるかどうかもかなり迷ったし、私なんかが意思をもって意見できるのか、という自信の部分でも迷った。だけど、去年の二次選考で多少なりとも当たりはずれがあっても、面白かったのと世界が広がったこと、そしてほかの人が面白いといった本が集まった最終選考はどれほど面白いのだろうか、という興味にやっぱり負けた。
やると決めたからには、たとえいち本読みの好みの討論になろうとも、本に対して、本に関わった人に対して敬意を持って全力で臨まなければならないと強く思った。
最終選考は二次選考よりももっとハードで、動画の中で自分の意見を述べる。だから去年の最終選考の動画から見て、本の感想はとにかくまとめて、そこから伝えたいことを絞る作業をして、討論の中で思ったことはなるべく忘れないようにしたいと思ったからメモとか用意して、去年のように後悔だけはしないようにと準備を怠らなかった。
本当は、本の感想を精査するのは良くないのかもしれない。でも、「嫌いなことを嫌い」と言うにも言い方があると思って、悪口にならないようには気をつけた(つもり)。これがただのツイートとかならもう少し言葉は選ばなかったかもしれないけど、今後もっと大きくなる可能性のあるもの、もっと多くの人に見られる可能性のあるもの、今後半永久的に残る可能性のあるものに適当な言葉は使いたくなかった。だから、精査した。
プライベートなところだと、2月から新しい仕事が始まっていて(まる一年引きニートから、一応週3勤務だからフルタイムよりマシなくらい)、ぐだぐだに疲れたのに本を読まないといけない、考えないといけないというのは精神的にも身体的にもしんどかったし、さらにいつもみたいに「めっちゃ面白かった!このキャラ最高!」のような適当な感想じゃダメという制限を設けてたから余計に重たいものになってしまっていた。でも去年の後悔がある。幸いにもフルタイムの勤務じゃない。休みが増えてるから、しっかり寝て、読書の時間をきちんと作ることにした。(それでも3冊くらい読めなかったけど・・・まあ、みんな多かれ少なかれ読み切れてなかったからいいのかな?笑)
結果として納得のいくようにできたか、というと答えは否。できてないになってしまう。まだまだ伝えきれなかったことの方が多いし、伝わってないことの方が絶対に多い。けれども、やらなかったよりかは確実にマシだったし、あの時の私ならあれが及第点だったと思う。完璧を求めると納得はできないけれども、後悔しないくらいにはできた。
最終選考は、男性の方と決定的に視点が違って意見が異なるのがすごく面白かった。同性の方とも意見が合わないこともあって、同じ本を読んでるのにこうも違うのか!と衝撃的だったことの方が多い。その体験も私にとっては初めてだったので新鮮で面白かった。
やる側としては面白かっただが、じゃあこれを見る側になると果たしてその面白さは伝わるのだろうか…という疑問はある。
1回目を見たときに、なんの地位もないただの本読みが、好みの感想を言い合って推したい本を決める。ぶっちゃけると退屈だったし、果たしてその“ただの本読み”に価値はあるのかと疑問にすら思った。
じゃあこの話し合いがどうやったら面白くなるのか?どうやったら見てもらえるのか?どうやったら公平性が保たれるのか?
残念ながら私の中で答えはまだ出ていない。
コンセプトはすごく面白いのに、売り方がわからない。見せ方がわからない。
この最終選考というのは受賞に至るプロセスなわけで、この文学賞の売りでもあるはずのところだから、ある程度は見てもらわないといけないのに第一回の動画の再生数といえば・・・。謎。
ほんとはもっともっとこの文学賞が色んな人に届いてほしい。将来的には文学賞の片隅に居座ってほしい。二次選考委員が足りなくなるくらいに作品が集まってほしい。
そして本が好きなら選考委員をやってほしい。後悔させないから。
そんなことを思いながら、この文学賞とはほどよく接していきたいと思っています。
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