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知って欲しい事件ファイル③ 現地リポートあり

わたしの記事の中でも実は断トツに読まれているこのシリーズ、今回はかなり昔の事件を取り上げたいと思う。しかも今回は現地まで行ってきたので、現地リポートも添えてお伝えする。

関東大震災が起きたのは、今から101年前。1923年9月1日の午前11時58分とされている。死者・行方不明者は合わせて10万人超え。1995年の阪神大震災の死者が6000人超、2011年の東日本大震災の死者が約2万人というところを比べると、圧倒的に被害が大きかったことがよくわかる。しかも当時の日本の人口自体も今よりずっと少なかったことも考えるとその被害の甚大さは計り知れない。

このような甚大な災害や非常事態が起きると必ず発生するのが、根も葉もないデマや流言、悪い噂である。ーこの先もっと大きな地震や津波が来るー ー地震で刑務所が壊れて囚人が逃げ出したー

現代になっても不思議なほどデマというのは拡がりやすい。それゆえに買いだめとかが発生して、不必要な物品の欠品がしばしば生じたりする。

関東大震災の直後に発生したデマで、朝鮮人が混乱に乗じて日本人を襲ってくるというものが流れた。これを信じた自警団が、村に侵入した日本人を朝鮮人と勘違いして10人(胎児を含む)を殺害してしまったという事件、世にいう「福田村事件」を今回紹介しようと思う。

事件自体が起きたのは、1923年の9月6日。震災から6日後のことだった。場所は千葉県東葛飾郡福田村、現在の千葉県野田市三ツ堀にある三ツ堀香取神社にて。

震災後の混乱および流言デマによって生み出された社会不安の中、香川県から行商にやってきていた薬売りの集団15人が村内にやってきていた。村では朝鮮人に対する警戒が敷かれており、自警団が組織されていた。被害者たちは行商団に気づいた自警団に取り囲まれ、すぐさま怪しまれた。そして、朝鮮人はガ行が言いづらいということから「15円50銭と言ってみろ」とか、「歴代の天皇を言ってみろ」などと尋問された。実際のところ、香川の言葉はほとんど現地の人には理解できず、朝鮮人ではないかという空気が高まっていった。そうこうしている間に自警団や村人たちがいっせいに集まってきて、現場には200人を超える人が来ていたとされている。200人対15人。高まる集団意識の中で、必死に日本人であること主張し続ける行商人たち。村の自警団としては村の安全が脅かされかねない非常事態。当時の時代背景にはもともと行商人に対する差別もあったことを書き加えておきたい。そして張り詰めた空気の中ついに殺戮行為が開始されてしまった。被害者の中には妊婦も幼い子供も含まれていた。かけつけた警察官によってなんとか自警団を説得したところで全滅は免れている。その遺体は利根川に流され遺体すら残されなかった。その後加害者たちは逮捕され裁判で、加害者7名に対してそれぞれ懲役3年から10年の実刑判決が下されたが、わずか2年5か月後に昭和天皇の即位によって恩赦をうけ釈放されている。

このことは時代背景を差し引いても、本当に理不尽だと個人的には感じてしまう。そして集団意識の中で差別が生じたり、誹謗中傷などによって自ら死を選ぶ人が出たり、現代においても人間の本質は全く変わっていない、いくらLGBTだの多様性社会だのと言ったって、出る杭は跡形もなく沈められる。異常だと感じざるを得ない。

ちなみにこの事件、2023年に映画化されている。ついこのあいだサブスクで鑑賞した。映画については非常に生々しく痛ましかったが、前半部分は不要と思えるシーンも多く少し退屈だった。それでも出演キャストも豪華だったし見ごたえは十分といったところ。

現在は野田市にある大利根霊園というところに、犠牲者を偲ぶ慰霊碑が立っているころを知り、そこまで行ってきた。駐車場には無言で敷地内に入ることを禁じる、との看板があったので、駐車してからまず受付へ向かった。受付で「福田村事件の慰霊碑を見に来ました」と正直に伝えると、すんなり受付の方に場所を教えていただき、歩いてたどり着くことができた。そこには2メートルから3メートルくらいの慰霊碑と、横に事件の概要が記された石碑があった。境内無断での撮影禁止と書かれていた看板を見つけたので写真は控えた。合掌し死を悼み、冥福をお祈りする。もういちど石碑の方に目をやると、建立日が2024年9月6日となっていた。訪れたのは2024年の8月31日だったので少し不思議だった。今年の追悼式用に作られたものなのか?単なる間違いなのか?正直詳しいことはわからない。わたしが訪れたすぐ後に、同じ目的であろう中年のご夫婦が手を合わせに来ていた。軽く会釈をしてその場を去った。

そして実際に事件のあった三ツ堀香取神社がそこから徒歩5分ほど行ったところにあることを知っていたのでそちらにも足を運んでみた。そこにはお寺と神社が隣り合わせにあった。お寺の方ではご住職の方だったのだろうか、作業着で掃除をしてらっしゃった。お寺の方に先に足を踏み入れてしまい、その方がじっと私を見つめている。声をかけないわけにもいかず、「あのー、福田村事件の現場にやってまいりました」とお伝えしたところ、「ああ、ここは寺なんだよ。現場は神社の方」と教えてくれた。また、「慰霊碑には行ったの?すぐそこにあるよ」と親切に教えてくださった。お礼を言ってすぐに神社の方に足を運ぶ。そこには福田村事件の現場と分かるモニュメントのようなものは一切なかった。しばらく神社を参拝したり、現場を眺めていると、先ほどの中年夫婦がまたしてもやってきた。お互い照れくさそうに笑い、「同じルートですね」なんて軽く言葉を交わした。


事件現場

その後、被害者の方の中には、利根川の方まで逃げて行った人がいたらしかったので、利根川の方まで歩いてみた。しかし進めば進むほど草がうっそうと茂っていて、虫も飛び交っていたので断念した。しかし途中でもちょっとした祠みたいなものがあり、これも犠牲者を悼んでいるものなのか定かではなったが、伸びに伸びた草に囲まれたその祠も立ち寄ってきた。


忘れ去られた祠

とにかくその辺一帯は、ものものしく暗く重たい空気が漂っていたのは間違いない。少なくとも部外者を歓迎しているような空気感ではなかった。

人間の恐ろしさを知る、という意味においてはやはり一人でも多くの人にこの事件は知ってもらいたいと思う。ぜひとも映画、書籍いろいろあるので手に取ってご覧いただきたい。

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