知って欲しい事件ファイル②
1968年10月のことである。29歳になった相沢チヨ。彼女には同じ会社に勤める7歳年下の恋人がいた。事情あって子供がいたチヨは正直にそのことを打ち明けるも、彼はそれでも構わないと言って、受け入れてくれた。そして仕事終わりにデートを重ね仲を深めていき、ついに彼はチヨにプロポーズをした。チヨも彼の誠実さにますます惹かれプロポーズを受け入れた。
そして同じ家に住む父親にそのことを報告しにいった。「お父さん、私結婚してもいい?」
すると父親は激怒した。「相手はどこのどいつだ。ぶっ殺してやる。今からそいつの家にいってやる。」チヨはあらかた賛成はしてくれないだろうと想像はしていたが、あまりの父親の激昂ぶりにあわてて会社も結婚もやめると言ってなだめるほかなかった。
ー果たしてなぜ父親はチヨの結婚にそれほど反対したのか?ー
時は遡ること15年前、それはチヨが14歳の時であった。当時チヨたちは、栃木県内の借家で暮らしていた。チヨの家族構成は父と母、それに子供が7人の9人家族であった。
チヨはこの中の長女であり、妹が2人と弟が4人いた。借家には2部屋しかなく、この2部屋で一家9人が生活していた。
そしてある夜チヨの布団に父親が侵入してきた。そしてチヨの体を触り始めたのである。最初チヨはびっくりして抵抗したものの、他の家族が起きるのを恐れてされるがままにそのまま父親に犯されてしまった。その夜がチヨにとっての地獄のような悪夢の始まりであった。それから15年にわたってチヨは父親からの性加害の餌食なってしまうのであった。
最初の夜から1年ほどしたあと、ついにチヨは助けを求めて母親にすべてを打ち明けた。すると母親は夫の行動に愕然とし、怒りに任せて父親を叱責した。「実の娘になんて恐ろしいことを!あなたはケダモノよ!」
すると父親は開き直りむしろ逆ギレで応戦。「がたがた抜かしてんじゃねぇ、自分の娘を自分の好きにして何が悪い!」口論の挙句、激しい暴力で母親を制圧してしまった。
これを皮切りに父親の家庭内暴力が激しさを増し、これに耐えられなくなった母親はチヨと妹一人を残して家を飛び出して行ってしまった。そのことは父親にとっては非常に都合がよかった、それからと言うもの、父親は週に何度もチヨの体を求めるようになった。
「お前が拒否したら、次は妹に手を出す」と言われ、妹を守るためにチヨは自らの体を犠牲にした。そして悪夢はチヨが17歳の時に最高潮を迎える。ついにチヨは父親の子供を妊娠してしまうのである。結局チヨはその後何度も父親の子供を妊娠し5人の子供を産み、5回中絶をすることになる。診察をした医師からは、これ以上中絶をしたら、二度と子供を身ごもることはできなくなるとまで言われた。5人の子供を出産したが2人は生後間もなく死亡してしまったため、結果としてチヨは実の父親との間に出来た3人の子供の母親になった。
そんな想像を絶する状況を生き抜いてきたチヨであったが、25歳になって印刷会社に勤めることになる。そこで出会ったのが7歳年下の彼であった。
事情は知らずとも子供のいるチヨを受け入れプロポーズをしたが、父親の反対によって2人の中は引き裂かれそうになる。しかし、2人は諦めなかった。2人は駆け落ちをする決意をして、父親のいない隙を狙って荷物をまとめ、駅で待ち合わせることにした。しかし最悪のタイミングで父親が帰ってきてしまう。荷物をまとめる娘を見て激昂し激しく暴れた。それでも振り切って家を出たが、ほどなく父親につかまり監禁状態にされた。「逃げたら子供がどうなっても知らんぞ!」そう父親はチヨを脅した。
チヨの精神は限界だった。この父親がいる限り自分の人生に自由はない。そう考えたチヨは父親の殺害を決意する。そして泥酔状態だった父親の首に部屋にあったひもを巻き付け思い切り締め上げた。締め付けられている間の父親は、何度となく罵声を浴びせたという。「やれるものならやってみろ!お前の人生は俺のものだ!」
気付くと父親は絶命していた。我に返ったチヨは慌てて近所に駆け込み自らの罪を告白した。そしてチヨは即日殺人罪で逮捕されることになった。
1960年代当時の日本には、尊属殺人罪という刑法が存在していた。これは簡単に言うと、親殺しは重罪となり単なる殺人罪よりも重い処罰が下されるという法律であった。これによって本来ならば父親を手にかけたチヨには司法によって死刑もしくは軽くても無期懲役の刑が下される運命となってしまった。当初の報道では結婚に反対された娘が逆上して父親の命を奪ったとして、チヨに批判的な報道も多かったようである。父親の壮年期を支配的に奪った、自らが父親を誘惑していたのではないか、など心無い声も上がったほどであったとか。
しかしながら徐々にチヨの壮絶な半生が明らかになるにつれて世間の見方は変わり、チヨに対して同情の声が多く上がるようになった。さらに彼女の弁護を担当した優秀な弁護士の力も相まって、結果として尊属殺人罪は適用されず、執行猶予のつく判決が下された。そしてこの事件をきっかけにして尊属殺人罪そのものが違憲だと判断され、削除された。
今のチヨがどのような暮らしをしているのかはわからない。しかし幸せに暮らしてることを願わずにはいられない。
だけども思ったのはそもそも、母親なにしてんの?ということである。必死でチヨを守ってあげてほしかった。なんで獣のそばに被害者置いて出ていくなんてことができるのか?それが一番腑に落ちないところである。ほかにも小さな子供を抱え、経済的な事情もあったのだろうけども。それにしてももっとほかの大人に頼ることができなかったものか。ただただ胸糞悪い事件である。
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