秋に聴きたい3曲
曲名: 1000 Kilometers
アルバム: 1000 Kilometers
アーティスト: OREGON
曲名: Gymnopedies No.1 (動画0:00~3:00)
作曲者: Erik Satie
演奏: Aldo Ciccolini
曲名: Calling You
アルバム: Blame It On My Youth
アーティスト: Holly Cole Trio
今回は、詩文がないお詫びに「ブルーノート」について解説しましょう。
(Calling Youは歌曲なので、詩をつけると屋上屋になってしまうという)
ブルーノートという語は、音楽家でなくても耳にしたことがありそうです。
「米国の黒人たちが奏でたという、憂いと異国情緒を含んだ音楽」
「ジャズレーベルの名称。生演奏を聴かせるクラブで有名」
「ブルーな気分のブルー? 物思いみたいな音のことかな」
どの回答もすべて正解です。
今から書くのは音楽理論におけるブルーノートです。
曲の印象を決める要素に、「長調」と「短調」があります。
長調は明るく陽気な感じ、短調は暗く悲しい感じです。
お題の「ブルーノート」は「長調」「短調」、どちらでしょうか。
まずは「長調」と「短調」の理解から始めます。
[ 長調 ]
ド・レ・ミ・ファ・ソ・ラ・シ・ド、これで長調の音階です。
日本では、ハ・ニ・ホ・ヘ・ト・イ・ロ・ハと並べ、ハ長調と呼びます。
西欧では、C・D・E・F・G・A・B・Cと並べ、C majorと呼びます。
「ドミソ」を和音で弾くと、「いかにも長調!」な印象になります。
[ 短調 ]
ラ・シ・ド・レ・ミ・ファ・ソ・ラ、これで短調の音階です。
日本では、イ・ロ・ハ・ニ・ホ・ヘ・ト・イと並べ、イ短調と呼びます。
西欧では、A・B・C・D・E・F・G・Aと並べ、A minorと呼びます。
「ラドミ」を和音で弾くと、「がっつり短調!」な印象になります。
長調と短調の響きには、鍵盤の段数における特徴があります。
ドミソ(長調)の和音は、 白鍵(-中3段-)白鍵(-中2段-)白鍵
ラドミ(短調)の和音は、 白鍵(-中2段-)白鍵(-中3段-)白鍵
という並びになっています。
下から1音目(コード用語で1st)と2音目(3rd)の間隔が、
ドミは長く(中3段)、ラドは短い(中2段)ので、
それぞれ、長調、短調という呼称にしたのだろうと想像しています。
英語の呼称はメジャー・マイナーなので、長・短は意訳です。
(直訳すると、大きい・小さい、または、多い・少ない、です)
「ドミソ」「ラドミ」の3音に代表させたことに
疑問を持った人がいるかもしれません。
完璧を期すなら、大もとの音階全部、言わないといけないような?
和音の響きの背景には、波長と最大公約数の関係があります。
1、2は、ただちに調和します(倍音の関係)
1/2、1/3も、2*3=6で、すぐ調和します。(協和音の関係)
すぐに調和する2音は、良くいえば澄んだ、悪くいえば単純な和音です。
ドミソとラドミは、3音では最単で調和する組み合わせになっており、
かつ、2音より「いかにも!」「がっつり!」で確定する感じがあって、
音階の代表を務めてもらうのにちょうどよいのです。
ブルーノートに特徴的なコードは「ド・ミ・ソ・シ」です。
おっと、4音ありますね。
コード用語では4番目の音を、1st-3rd-5th-7thで、セブンスと呼びます。
音を聴くとわかりますが、ドミソはハ長調で、ミソシはホ短調です。
「ド・ミ・ソ・シ」は、長・短、両方のニュアンスを含む和音です。
長短の共存を思わせる響きが、
・明と暗、光と影、晴れたり曇ったり
・暖かさと冷たさ
・希望と不安
・温かい交流の記憶と別れの悲しみ
・つらいけど、なんとか生きている
など、感覚や気持ちにおける、混在や揺らぎの表現に使える。
晴れた青空、澄んだ夜空、僕はどちらも好きですが、
夕焼けには、さらに惹きつける力があって、ずっと見ていたくなります。
昼でも夜でもない、不思議な時刻「マジックアワー」。
ブルーノートには、マジックアワーみたいな魅力があります。
ブルーノートには、浮遊感があります。
地に落ちて座りこんでいない。不安定に浮いている。
宙に浮くのは人類の夢で、その夢の感覚が音で表現できてしまうという。
「どちらつかず」な感じが浮遊感に繋がっているようです。
さらに、脳内で呈色反応が出やすいという特徴があります。
色の共感覚を持つ人は、色感が現れると、気前よく星二つ増量します。
そして何より、響きが美しかった。
音楽は、理屈抜きで、美しければ何でもありです。
おそらく、狭義には、音楽史を踏まえ、
① アフリカ系米国人が演奏するジャズにおいて、
② ブルーノート音階が提示する響き(短調ニュアンス)全体を、
ブルーノートと呼ぶのが正しいです。
極度に広義に解釈した場合は、
・長短が混在するコード、または、長短の落着性が弱いコード
・曲の進行における長短の揺らぎの容認、あるいは活用
です。
ここまで概念を拡張すると、もはや誰の専売特許でもないです。
ジャズだけでなく、クラッシックにも、ときにはポップスにも、
まるで言語のごとく、長短で感性を表現するアーティストがいます。
1000 Kilometersにおいて、友の死は悲しく、寂しいことです。
しかし、亡き友を想うとき、浮かぶのは楽しかった日々です。
Calling Youにおいて、夫が帰ってこないのは悲しいことです。
しかし、彼女は変化を信じています。
僕はGymnopediesに、秋の感じを覚えます。
秋の陽ざしは暖かいですが、風が吹いたときは冷たいです。
秋の進みはゆっくりで、少しであれば立ち止まれそうな気がします。
秋を感じる時間を持てることは幸いです。
参考: ジムノペディNo.1のコード進行
記号を目にすると、嫌になってしまう人もいるので、
何がどうなっているのか知りたい人だけ、リンク先へどうぞ。