第十九話 ダンスアイドル誕生まで 1
中学生の頃からダンススタジオに出入りしていた子が、
高校の卒業時にアイドルになるために東京へ出たいとT先生に相談したらしい。
T先生は「一人で東京へ行っても誘惑が多くて失敗するのは目に見えている。それならば札幌でアイドルになってはどうか。」と話がすすんだらしい。そのいきさつを私は伝え聞いただけだ。
アイドルとは何か?
コンセプトは他のアイドルと差別化するために、社交ダンスをベースにした
パフォーマンスをしながら歌う18歳のダンスアイドルだ。
スタジオに通っていたもう一人も「私もアイドルになりたい」と
(本当に言ったのかどうか)手をあげてダンスアイドルユニット誕生の夢が膨らんだ。
アイドルを育てるには資金が必要だ。
ダンススタジオは賃貸料を払うのに苦労し、維持するのも危うい火の車の状態だったと思うが、T先生こと代表のTは新しい事業として企画を練り上げ、高校生の夢の実現と自分の未来への足がかりを作ることに本気だった。
私はスタジオの経営には絡んでいなかったが、愚かにもお金を貸していた。
最初は社交ダンスのレッスン料のチケット代を前払いして融通した。社交ダンス業界のことは詳しくないが、複数の団体が反目しあい、若い人が集まらずに衰退が懸念されるという、いくつもの課題を抱えていたようだ。
Tは社交ダンス業界を何とかしたいとの熱い思いとアイデアがあっが、行動して幾度も失敗した。
そのたびにお金を貸した。私自身に余裕があるわけではなかったが、ネガティブな情報がありカードを使用できなかったTの代わりにカードローンを組んだ。
また、私自身が加入していた生命保険の契約者貸し付けを利用した。
何のためにお金が必要であったかをTははっきりとは言わなかった。
奥さんが経営していたフランチャイズの化粧品店が上手くいっていなかったのか、その借入金の返済か、二人の幼い子供がいるのに生活に困窮していたのか。
Tと奥さんは社交ダンスのパートナーでもあり、ラテン部門で国内で優勝し、アメリカの世界大会で2位までいったと聞いている。一世を風靡し大きな仕事をしてきたから、私は尊敬もしていたのだけれども。
ところで、T は新規事業を起ち上げたいと、商工会議所に相談に行き、資金を得る方法を模索した。資金を調達する方法の一つとして商工中金に企画書を提出したが、融資の許可は下りなかった。
それはそうだろう、芸能事務所的な新規事業に誰が融資をするだろうか、と
今では冷静に考えるのだが、高校三年生の二人が卒業する春に間に合うよう
何とか形を作りたいとの焦りがあった。
私はTにお金を融通していた関係で、この事業にも自然、足を突っ込んでしまった。
T はアイドルをデビューさせるために、演歌歌手のCD制作やイベントの制作など総合プロデュースの実績がある芸能事務所へ、楽曲の作詞作曲とCDの制作を依頼し、着々と準備をすすめていた。
芸能事務所とは、アイドルを売り出すための営業込みで一括契約したらしい。
私は契約に関してタッチしていないし、契約書は後々も見せてもらえなかった。実際いくらかかったのか不明だが、400万円必要と言われた。
Tは頼みの綱にしていた商工中金の融資の目論見がぽしゃったので、私が所有しているマンションを担保に不動産融資を組むことを提案してきた。
所有しているマンションのローンは残っていたが、これまで融通していたカードローンの清算とCDの制作と事業の運転資金を得る方法を一気に解決しようと頭を働かせたのだろう。不動産ローンの融資の総額は1650万円になった。これまでの借金の清算と手数料で900万円が消え、600万円をTに手渡し
手元に残ったのはわずかだった。
その時、人は、目標に向かって集中しているものだ。
傍から見れば無謀な選択も最善の方法に思えた。これしか方法がないと思った。
私も是として頷いたから、この事業は回り出したのだ。
営業が上手くなりたくて年収くらいのコンサルティング料を払い、やがてコンサルタントと連絡が取れなくなり、困り果てて税理士に相談して弁護士を介して代金を取り戻し、もう二度と馬鹿な真似をしないように諭された苦い経験をしたにも関わらず、同じ轍を踏んだのだ。
保険の法人営業で経営者と関わるうちに、経営は借入金なしには
回らないことを知っていた。事業とはそういうものだ。
コンサルタントが借金力と言っていたが、借金するのも経営のうちと
刷り込まれていた。
今、事の顛末をできるだけ正しく、記録しておきたいと思い綴っている。
私は絵を描き続けて、東京の銀座で個展をする、という最初の夢を叶え、
絵で食べてはいけないが発表の場がある。
だったら、若い18歳の女の子の夢を叶える手伝いをしてもいいのではないか。一般受けしない、重苦しくダークな色調の絵を描く絵描きの自分を売り込むよりも、エンターテインメントで世間を楽しませ、元気付けることができるアイドルを世に送り出すことの方がよほど社会に貢献できると思い、自分の選択が正しいと信じた。
社交ダンス業界にダンスアイドルを送り込んで旋風を巻き起こしたいと
意気込んでいるTのためにも一肌脱いで役に立ちたいと思った。
保険業界も厳しさが増して収入が減り、合わない営業にも限界を感じていた。
保険業界から足を洗い、アイドルを育てるという、何とも頼りない船出をしたのは2017年のことだった。