その37 ピラミッド と なべぶた(4236文字)
1 はじめに
組織について考える際に「ピラミッド」や「なべぶた」のように例えられることがあります。
「ピラミッド」とは、その形の通り、一番頂上が最上位の上司になります。
そして、下段に行くにつれて、構成する人数が増えていきます。
一番下は、一般社員と表現できます。
それぞれに、基本的には明確な役割認識、役割分担、役割がある組織のことです。
「なべぶた」とは、これもその形の通り、持ち手部分が、上司であり、蓋部分が、一般社員になります。
学校組織は「なべぶた型」なはずです。
それにも関わらず、教職員は「ピラミッド型」だと認識している人も少なくありません。
しかし、学校組織のなかをよく観察してみますと「なべぶた型」にも「ピラミッド型」にもなり得ていないことが、どうもあるようです。
前置きが少し長くなりましたが、今回は、学校組織の現状を、この二つの『形状』から考えていきます。
2 こんなことありませんか?
ベテラン学年主任と新任先生の学年団(学年ふたクラス)。
両クラスにかかる子ども同士の問題が発生しました。
保護者から相談を受けた新任先生が、ベテラン学年主任に助けを求めました。
ベテラン学年主任は、対応せずに「それは管理職に報告して。」と…。
そして、管理職対応になります。
この状況が「なべぶた型組織」に、よくあることだと思います。良くも悪くもです。
3 これまでの学校組織
学校というものは、どこまでいっても、ある一面ではフラットな組織です。
退職まで、フラットな関係のなかで、教員組織(誤解のないように、経験差によることなくフラットな関係を築けることが、教員社会の良さのはずです。)が築かれます。
また、前例踏襲を大切にして成り立つ組織でもあることから、右も左もわからない新任教員が、前年の職員会議の案件をノーチェックで、そのまま提出するということもあります。
昨年の検討事項を反映させることなく、そのまま案件を提出しますが、その時々の教員集団の状況で、問題とされたり、そのままスルーされたりします。
本当に、これでいいのでしょうか。
また、別の観点で、管理職について考えます。
ある日突然、教頭という、上位の立場になります。
どのように、この組織で立ち居振る舞うことが正しいのか、教頭も教員も誰も知りません。
わかっていることがあるとすれば、これまでの教職経験で、その人が見てきた教頭像や自分自身を認めてくれた教頭像が、正解になるいうことです。
これが果たして、正しい教頭像なのでしょうか。
校長像についても言えることです。
何か起これば、間髪入れず、すぐに「教頭先生!」といった具合にコトが進む要因が、ここにあります。
また、教頭自身も、ある日突然、上位の階級になる訳で「教頭先生!」と頼られた事すべてが、上司の責務だと思って対応してしまうのです。
本来、教師自身が向き合うことや、学年主任と一緒に解決すべきこと、学年主任が責任を持って対応することがあるはずだと思いたいです。
すべてに対応してくれる教頭が「いい教頭」と、間違った組織の絵を、多くの教職員で作り上げてしまっているのです。
同様に、教頭自身も、間違った組織の絵をかいてしまっているのです。
正しい組織像を知る由が、学校現場、特に小学校の現場には、ほぼ存在しないのです。
先ほども書きましたが、その証拠に、同じ学年団のなかで、若手の先生が学級のトラブルで困っていることを耳にした大ベテランの学年主任の先生がとる言動は、管理職へ相談を促すことが大半になるのです。
少し譲っても、一緒に管理職に相談する程度です。
こうして、人が育つことのない学校文化によって、管理職の罰ゲーム化の印象を加速させることになるのです。
とても悲しいことのように思えます。
学校現場では、この状況を改めて、良い教員組織を作ろうと行動できる人、問題意識を持てる人、この現状を問題だと思える人は、少数なのです。
ですから、学年主任はじめ教員が行動を起こす判断基準は『過去の経験則』が主たるものになるのです。
そして「何でも教頭に」が、マジョリティな対応になっていくのです。
4 これからの学校組織
昔は、よくできた学校でも『なべぶた型組織』にしかなり得ない状況がありました。
それは、先ほども少し話にあげましたが、教員であるうちは、ほぼすべてがフラットな関係性だったからです。
何十年仕事をしようが、教諭という立場であるうちは、自分自身の仕事さえ、個人事業主としてやり遂げれば文句は言われないのです。
ただし、商店街連合会のなかの個人事業主である必要がありました。
しかし、いつからか、商店街連合会への意識は持たなくてもよい?持てない?組織風土になったようです。
しかししかし、今は変わりつつあります。
『なべぶた型組織』から『ピラミッド型組織』へ移行しつつあるのです。
(決して『ピラミッド型組織』が、完全体ではない前提のうえです。)
一昔前は、教諭と教頭、校長という役職しかありませんでした。
しかし、今は階級のような役職が作られつつあります。もちろん自治体によって異なるのですが。
例えば、
教諭として、教師のキャリアがスタートします。
その後、
→(ある程度の経験と書類選考を経て)主任教諭
→(選考を経て)主幹教諭
→(選考を経て)教頭
→(選考を経て)校長
といった形になっているようです。
典型的なピラミッド組織だと思われる、治安維持を担う警察組織に例えるなら、おおまかに
⚪︎教諭 🟰 巡査
⚪︎主任教諭 🟰 巡査長
⚪︎主幹教諭 🟰 巡査部長
⚪︎教頭 🟰 警部補
⚪︎校長 🟰 警部
と表現できると思います。
(あくまで、ピラミッド型を表現するための例えですので、実際の役職名や与えられた職務内容とは異なります。)
このように考えると、複数の教員で担当する委員会活動や児童会活動、学年団や校務分掌の役割には、既にピラミッド的組織体系が、存在していることになります。
つまり、学校組織は、校長・教頭だけが、なべぶたのつまみ部分(持ち手)として、上位にある階級では、今や、ないということです。
言うまでもなく、給料改善、処遇改善の為だけの役職でもありません。
目の前の事象に責任ある仕事を組織的に行うために役職、階級があります。
教職員が、縦に横に、斜めにつながって、事象に向き合うことで、働き方改革や能力向上、学び方改革をもたらすものだと認識できると思います。
5 問題点
しかし、『ピラミッド型組織』が構成されつつあるにも関わらず、以下のような新たな問題も現場で起きています。
(1)明らかにされない。
現場で働く先生には、組織表や名簿でも、誰が主任教諭で、誰が主幹教諭なのかが明らかにされません。
どうして明らかにされないのか、その理由は知る由もありませんが、恐らく、その必要性が認識されていないことにあるのかもしれません。
なぜなら、今まで、組織として仕事をしてこなかった手前、新たな階級のような役職ができようができまいが、給料の違いとしか認識のしようがないのかもしれません。
(2)拒否する。
年度末にある、新年度に向けた管理職との面談で、学年主任や校務分掌の長になることを拒否する教員が少なくありません。
ベテラン教員や中堅教員は、自らの意志で、主任教諭や主幹教諭になったにも関わらずです。
希望や権利という名の下に、その役職に見合う校務分掌の長や学年主任になることを拒否するのです。
その結果、経験の浅い、一教諭が、学年主任になったり、校務分掌の長を任されたりすることになります。
(3)適切に評価できない。
年度末の評価の時期になると、若手は仕事を多く与えられたけど、その役割を果たせる訳もなく結果が伴わず、良くない評価に落ち着きます…。
ベテラン教員は、重たい仕事を断って、自分にできる仕事で成果を出して、それなりに良い評価を得ていきます。
何かがおかしいとしか言いようがありません。
6 具体的なありかた
◯ 組織作り
学年団として、学年主任になる人は、通常は、主任教諭や主幹教諭という役職を得ています。
委員会活動や児童会活動等を複数で担当する場合には、その中心は必ず主任教諭や主幹教諭が担います。
校務分掌における研究部長や生活指導部長も同じように、主任教諭や主幹教諭が就くことを全員の理解にすることが必要です。
◯ 仕事の進め方
コピー機の印刷状態が良くないのであれば、まず、その状態を事務担当者に連絡するのは、どうでしょうか。
体育倉庫の鍵が、所定の場所にないのであれば、まず、学校全体の時間割を見て、前の時間に使用した学級担任に確認するのは、どうでしょうか。
学級の児童が、学校のきまりを守らず困っているのであれのば、まず学年主任に報告・相談するのは、どうでしょうか。
また、子どもの安全の観点も踏まえて、生活指導部長に報告・相談するのは、どうでしょうか。
メール受信がうまくいかない時は、同じ現象がないのか、まず一番身近な学年主任や隣の席の同僚に確かめてみるのは、どうでしょうか。
また、ICT担当に情報提供の観点も含めて、報告するのもいいと思います。
そのうえで、自分自身でコールセンターに問い合わせてみることが必要なのではないでしょうか。
児童集会前に雨が降ってきたのなら、教頭先生ではなく、まず、児童会担当の教員同士で話し合うことが必要ではないでしょうか。
そのうえで、校務分掌の長に確認するとスムーズに、ことが運ぶと思います。
そうして、決まった方針を管理職に報告することで、事足りるのではないでしょうか。
7 おわりに
以上のような、組織体系、組織認識が生まれると、組織が正常化し、相互に高め合い、学び合う教師組織ができあがるのではないかと思います。
先にも書きましたが、組織が正常化すると、それぞれの立場の教職員が、いきいきと前向きに、仕事に精を出すことができるのではないかと思います。
「大事なこと」にピントを合わせられるようになるのではないかと思います。
本当に判断しなければならない時に、全力で対応することができます。
一人一人の教員が、英断を下すことができるようになると思います。
そして、力強く、正しい教員組織になること自体が、ひいては『働き方改革』を実現することにつながるのではないかと思う今日この頃です。
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