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その33 聞いて(1618文字)
1 はじめに
児童(Aさん)が泣いています。
20分も泣き続けています。
聞いてみても、泣いている理由を、なかなか言葉にすることができません。
気分転換に関係のない話をしていくうちに、少しずつ話をしてくれました。
2 Aさんから聞いたこと
図書の時間のこと。
気がつくと、Aさんと仲のいい子(Bさん、Cさん、Dさん)が、三人並んで座って本を読んでいた。
三人は、時に楽しそうにおしゃべりをしていた。
私(Aさん)は、別のところに一人で座っていた。
すると、Bさんが『睨まんといて』と言いに来た。
その次に、Cさんが『なんかあったん?』等と私(Aさん)のところに言いに来た。
ん?
睨んでないのに……。
何もないと思ってるけど、何かあったんかも…。
Aさんは、色んなことを考えてしまい、悲しい気持ち、辛い気持ち、嫌な気持ち、時には、なぜか腹が立つ気持ちになり、その結果、涙が止まらなくなった…。
3 子ども同士の会話のやり取りがない…
このような話を聞いて、会話や対話、つまり、言葉のやりとりが、とても大事だなと感じました。
もっと言うなら、普段から授業の中で、自分の考えを発信すること、他者の声を詳しく聞くことを意識できる学級経営が、とても大事なのではないかと思いました。
時間をかけて、AさんやBさん、Cさんに話を聞いていくと、悲しくなる事実は、一つもありません。
図書の時間に本を返却するタイミングや前の時間の授業での一人一人の課題の進捗具合から座席が、いつもと異なったことが明らかになりました。
子どもにとっては、このようないつもと違う状況も、ゆっくり時間をかけて考えないと認識できないことがよくあるように感じます。
大人との視野の違い、子どもとしての発達段階故のことだと思います。
Aさんは、三人のことを気になって、ちらちらと見ていたけど、声をかけられなかったこと。
Bさんは、何度も見られることを睨まれたと捉えていたこと。
Cさんは、Bさんから「Aさんが睨んでくる」と聞きましたが、Cさんには、睨んでいるように感じなかったこともわかりました。
Dさんは、何も感じていませんでした。
4 おわりに
教師として、知識の伝達や常識を教えてあげることと同じくらい、他者に対する理解を深める営みが大事だとしみじみ感じています。
普段の国語や算数の授業や学活の時間から、友達の考えを能動的に聞くことを大切にしたいと思いました。
「見る」「睨む」この違いは、どこにあるのでしょうか。
教育者、先生の武器は、授業だと思います。
知識・技能を獲得する授業は、とても大切です。
これと同じくらい大切なのは、思考力・判断力・表現力を磨く授業だと思います。
そのために、人の話・声に耳を傾けること、自分の心のうちを言葉・声に発することが必要になってきます。
個人個人により、もちろん得手不得手があるので、思考力・判断力・表現力を意識する際には、反対のことを言うようですが、知識・技能に対する理解を深めることも、また重要になってくるのだと思います。
話を聞くこと、話をして言葉を交わすこと、そして、言葉を自分の中で受け止めること、とても大切だと思うようになりました。
はたまた、目から入る情報、見えているものは同じはず?なのに、それが脳を通ることで、人それぞれなんだなと気づかせてもらえることが増えてきたようにも思います。
結論として、何から取り組み、何を大事にすればいいのでしょうか。
それは、
・学級全員が一人残らず、他者の声に耳を傾ける習慣。
・話すこと以上に他者の声を聞くことが大事にされる授業。
・全校朝会での話の内容を振り返る習慣
・思ったことを口にできる心理的安全性。
・先生の話すことを聞いていたら、得をしたという経験ができるような先生の話。
・子ども理解
等々なのかなと…身も蓋もなく?思う今日この頃です。