その23「けんかの取り扱い」それでいい?(930文字)
1 はじめに
事件捜査から考える、子どものけんかやトラブルの取り扱い。
「大」の大人が、街中で、けんかをして人を殴ろうものなら、警察のお世話になることは必然です。
警察の取り扱いになると…
2 つぎに…
被疑者(犯人)と被害者が、同じテーブルで、自分の言い分を言い合うなんてことは、まずありません。
3 にも関わらず…
学校で子どもが喧嘩をした時、先生たちは、飽きもせず「まず何があったか順番に聞くよ。まずAくん。」なんてことをやります。
すると興奮冷めやらぬ、子どもたちは、自分の思いと違う言葉が他者から出るたびに、怒ったり、泣いたり、すねたりする訳です。
このようなありさまを、先生は、仏の顔で、うなずいたり、なだめたりします。
しかし、そのうちに…あまりにもそれぞれの子どもが、自分の考えばかり好き勝手に言おうものなら、先生は、力で威圧して、怒鳴り散らして、話を聞かせるなんてことも、よくある話ではないでしょうか。
4 そこで…
警察官の取り扱いに見習うと、被疑者や被害者や、トラブルの当事者同士という相反する関係者を、絶対に同じ場で引き合わせることは、ありません。
それぞれ個別に事情を聞いたうえで、擦り合わせる必要があることは、客観的な事実をもとに、個別に話をして、気持ちを落ち着かせ流用に仕向け、感情的ではない、理性的な解決に導いていきます。
5 だから…
学校現場における、子どものトラブルやけんかも、とりあえず、子ども自身が落ち着いて他者の話が聞ける状態になるまでは、個別に言い分を聞いてあげて、とにかく、その気持ちに寄り添ってあげるべきではないでしょうか。
そして、最後に、子どもを育むためには「ごめんね」がゴールではなく、『自分の良くなかったところと向き合わせること』が大事だと思うのです。
その前提ができあがったうえで、双方を引き合わせ、『自分の良くなかったこと』を、それぞれ言葉で表現させます。
決して他者、相手批判ではありません。
そうすると、相手方は反省しているんだなと伝わり、それぞれの心に「自分のほうこそ悪かった」という気持ちが芽生え、大人に促されることなく、ごく自然に「ごめんね。」の言葉が勝手に出てくるようになるものだと思うのです。
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