【ぼく遺書vol.1】拝啓社長様 あの日飲んだバーの名前を僕はまだ知らない~立志編①~
こんにちは。元塾講師のストームです。僕は東大経済学部出身の30代。大学を卒業後に就職した学習塾を退職して,今はフリーの身です。
「僕が遺書を書いて学習塾を辞めた理由」略して「ぼく遺書」
このブログでは以前勤めていたブラック学習塾での経験を告発していきます。今回は「~立志編①~」です。
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ブラック学習塾の社長さんと出会ったのは,東大のオープンキャンパスでのことだった。ゼミの教授に気に入られていた僕は,「ストーム(僕)さん,オープンラボ(年に一度外部の人が研究室を見に来れる日)で佐藤さんと一緒にゼミのことを軽く話してもらえないでしょうか」と丁寧に頼まれた。大学時代の僕は授業をサボって友達と旅行に行くほど不真面目だったけれど,なぜかこの教授のことは大好きで,教授のゼミだけは毎回必ず出席していた。
「めんどくさいなぁ」と正直思ったけれど,一緒に発表する佐藤さんがゼミはもちろん経済学部の中でも一位二位を争う美人だったから一瞬で快諾した。本でも読もうと思いながら結局はだらだら過ごしてしまう休日を送るくらいなら,多少の労力がかかるとはいえ,美人な佐藤さんと1日を過ごせるのは悪くない話だと思った。
僕「いいですよ。でも発表にはあまり期待しないでくださいね」
軽い気持ちで教授に言ったこの一言のおかげで僕の人生が大きく狂わされるとは,この時は夢にも思っていなかった。
東大に入学したことで言ってみれば将来ビッグになることへの切符を手にしたと思っていた僕は,入学してからの閉塞感に苦しんでいた。入学前は「大学に入ったら死ぬほど勉強してやろう」と思ってはいたものの,結局はテレビでお笑い番組を見ては笑っている自分に対して日々苛立ちが募っていたのである。
大好きだった彼女にもフラれ,一時は自暴自棄になりながらも,「俺はこんなもんじゃない」という根拠のない自信があったからだろうか。安易に普通の大学生に成り下がってしまうのも悔しい気がして,一部の数少ない友人を除いては,同じクラスの人とも心の底から交わりたいとは思えずにいた。
そうはいっても一念発起して勉強に励むわけでもなく,家に帰ってはテレビを見ながら無駄な時間を送る日々に,僕は圧倒的な閉塞感を感じていた。深夜番組「水曜どうでしょう」を見ては,大学時代にミスターと出会って成り上がった大泉洋に憧れて,自分にもこんな成長をもたらしてくれる白馬の王子様が現れないだろうかと夢見ていたからだろうか。ホームカミングデー当日,僕の目の前に現れた社長の放った
「君面白いね!うちの塾で一緒に働いてみない?」
という一言は,「俺はこんなもんじゃない」と信じてやまない僕の自尊心をくすぐって,初対面の社長に対して感じた「生意気そう」というマイナスの印象を差し引いても余りあるほどに効果的だった。それほどまでに社長の放った一言は強烈なカタルシスを僕に感じさせ,ブラック学習塾へと引きずり込んだのである。
承認欲求に飢えていた当時の僕をオトすのにそう時間はかからなかった。こうして文章にしてみると,そんな言葉に引っかかる方がバカなのかもしれない。でも社長は教授とも知り合いで仲が良く,出身大学も京大で頭がよさそうで,さらには本まで出版したことがあるというその出で立ちからは,胡散臭さなんて微塵も感じなかった。
話を聞いてみるとその人は学習塾の社長さんだった。河合や駿台といった大手とは一線を画す塾を経営していると豪語する彼は,誇りと自信に満ち溢れていた。それでもすぐに「はい」というのもなんだか負けた気がするので,僕は社長にこう言ってみた。
僕「ほんとですか?ありがとうございます。でも僕,学習塾嫌いなんですよ。すみません。」
社長「ふざけんな。俺の塾はそんな塾じゃない。学習塾をなくすための塾なんだ。」
社長は塾が保護者からお金を巻き上げるためにどれほどひどいことをしているのか,そして塾講師に対しても非情な経営戦略を僕に淡々と説いた。
社長「いいか?例えば,本当なら塾に頼らずに成績を上げた子どもをほめてあげるべきなのに,K塾は講座を多くとって成績を上げた子どもを表彰している。こんなのおかしいだろ?それからT塾はビデオを見せるタイプの塾だけど,あれも著作権は撮影した瞬間にT塾が所有するから,塾講師は月単位の契約に怯えてるんだってさ。そんなクソみたいな塾はこの世から無くなった方がいいだろ。そのために俺は起業したんだよ!」
今振り返るとおかしな話だ。塾に頼らずに成績を上げた子どもは,塾なんかよりも親に褒めてもらいたいだろう。塾が褒める義務なんてないし,講座を多くとって成績を上げた子どもを表彰することは,塾にとってみれば最大限の誠意としても捉えられるだろう。また,T塾が著作権を所有していることや,月単位の契約をしていることに問題はなく,問題にするならば給与が相応かどうかだ。こうしてみると社長の論理は破綻しているのだが,この人にはなぜか人を信じさせてしまう力があった。
社長「俺と一緒に塾をなくそうぜ!まあそんなこと言ってもすぐには決められないよな。まあ一度うちの塾を見においでよ。連絡先交換しようぜ。」
こうして二日後,僕は都心の回らないお寿司屋さんでおいしい握り寿司をご馳走になった。日付が変わったころだっただろうか。「終電がなくなってもタクシー代払うから」と言われて連れて行かれた隠れ家的なバーで,僕はピーナッツを食べていた。あの日飲んだバーの名前を僕はまだ知らない。でも当時の僕にはバーの名前なんてどうでもよかった。その日の僕にとって一番大事だったのは社長が僕に放った一言だった。
「俺と一緒に日本の教育を変えようぜ」
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