「えんとつ町のプペル」と論語
西野亮廣さん制作総指揮の「えんとつ町のプペル」というアニメを見てきました。
話題作であること、冬期講習の合間のちょっとした時間に見られたことなどいろいろ幸運が重なって、近所の映画館でレイトショーを見てきました。
近所に映画館があるっていいですね、夜中になっても歩いて帰れるというのは本当に便利。
さて、この話は西野さんの人生と重なっていてプペルとルビッチというのはきっと西野さんそのものなんだろうという切り口で見た人もいるでしょう。
出だしから美しい絵本のようで、お子さんと一緒に純粋にルビッチの心の成長を楽しんだ方もいるでしょう。
途中に出てくる、えんとつ町を作った人と、「それ以前の世界」を金融資本主義の世の中と重ねた人もいるでしょう。政治の腐敗とこれからどう戦うかということとかも考えたかもしれません。
どう見ても、どの切り口からでも面白く見られると思います。
私は主人公のルビッチと彼のお父さんとお母さんの関係というのに非常に心を打たれました。
You Tubeで最初の3分は語られているので、ご存知の方もいると思いますが主人公ルビッチのお父さんは紙芝居でえんとつ町の煙の向こうには星があるということをみんなに伝えます。
しかし、みんなはそんなこと信じません。
ルビッチはその世間の声の中で苦しみます。
映画の予告にあるように最終的には彼は自分の目で星があるかを確かめるのですがさてその結果は・・・。
ルビッチのお父さんもお母さんも非常に素直で、自分で見たものを信じて、自分の家族を愛しています。愛しているものを疑わない人々です。だからルビッチは世間の声にさらされても一人で偏見と戦うことができたわけです。
私はそれを見て、孔子の教えを書いたあの有名な本「論語」の中の「三年の愛」という項目を思い出しました。
中国では昔親がなくなると三年ぐらい喪にふくす習慣があったそうですが、孔子の弟子が「喪に服すのは一年ぐらいでいい」ということを言ったんです。そうしたら孔子が「お前がそう思うならそうしなさい」と言ったという話です。
これは親が子供を生んでから三年の愛を注げば子供は親が死んだときには三年ぐらいは悲しみが落ち着かないものだが、その弟子は親に「喪に服すのは一年でいい」と思う程度にしか愛されていなかったのだという考えに基づいているとのこと。
ルビッチはこの「三年の愛」を受け取った子だなと感じました。
正直昨今、人間は自分たちで作ったシステムなのに、そのシステムの奴隷になっているように思います。
おかしいことをおかしいと言えないし、システムに当てはまらないと「不良品」扱いするわけですから。
その世間の「おかしさ」の防波堤に大人がならないといけないのに、大人も何の声に耳を傾けたらいいかと迷い、「システムの声」を聞くのです。
そして規格外の子供を「ノイズ」として扱う。
そういう子供が将来私達が老人になったときに私達をどう扱うのでしょうか?
そして、生まれてくる新しい命をどのように考えるのでしょうか?
そう考えると私達大人の抱えている課題は結構重たい課題で、そこから逃げると子供を危険に晒すことになりますよね。その時必要なのは「三年の愛」なのではないでしょうか。
受験業界にも新しい考え方が必要になってきたのではないでしょうか?
子供を偏差値の奴隷、システムの奴隷にしないようなアイデアを持っている塾、指導者のもとに預けるということを本気で考えないといけないのではないでしょうか。私達指導者もご両親には及ばないかもしれませんが生徒に対して「三年の愛」に相当するものを捧げる必要があるかもしれません。
クリスマスの夜にそんなことを考えました。
ちなみに、私が好きなキャラクターは「スコップ」という人。自分の命が危険にさらされていても敵に向かって「生活の裏技」を話す余裕があったり、本当の危険に対して自分がどう振る舞うのか、自分をどう守るのかということを一番よく考えているからです。彼もきっと「三年の愛」を受けたのではないでしょうか。
オリラジの藤森さんの声もぴったりでした。
これは定期的に何度も見直して、そのたびに自分が勉強したことが増えていることを確認するのに非常にいいお話です。
多層的で、そして本当の解決策は「私達の胸にある」ということを教えてくれます。
ぜひご覧になってください。