好きこそものの・・・
息子は今絶賛数学にはまっている様子。(かといって成績表で「5」が取れているかといえばそうでもない。)
好き!って最強だな~と息子を見てて思う。きっと”勉強”という感覚はなく苦にもならなくて、純粋に、”知りたい、もっとできるようになりたい、楽しい!” っていつの間にか膨大な時間を費やしている感じ。
私も振り返ってみるとそんな時代があった。
小学校高学年の頃、TK(小室哲哉)ブームで巷ではTKの音楽が溢れていて、私も小室ファミリーの曲を聴きまくっていた。レンタルCDショップよく通ってたなあ・・・懐かしい。
それで、TKの曲のタイトルや歌詞の中には英語がたくさん出てきたので、意味が知りたくて、「歌詞の翻訳ノート」を作ってTKの歌詞を翻訳していた。すると、知らない単語を知ったり、文法を学んで歌詞が理解できるようになることが楽しくて、いつのまにか英語が好きになっていた。本当にTKさまさま。
当時は海外の子と文通ができるというサービスがあって、(会費を払うと住所と名前のリストが送られてくる。今じゃ考えられない^^;)
オーストラリアに住む同世代の女の子と英語で文通をはじめたりした。写真や、自分の国ではやっているキャラものグッズを送りあったりして、その女の子からはカンガルーかなにかのぬいぐるみを送ってもらった記憶がある。
それからもずっと英語が好きでそこそこ得意で、それなのに、肝心の進路選択の際、好きだからこそ勝負することが怖くて、私は”英語”を封印した。高校のクラスには海外の大学に進学するためにTOEFLの勉強をしているクラスメイトが一人いて、きらきら眩しくみえたことを覚えている。私にはそんなチャレンジとてもできないや・・・と悔しい気持ちもあった。あのとき、英語を主軸において進学していたら…就職していたら…いまとは全く違ったキャリアを築いていたのかも。
ただ、「英語から逃げた」という後ろめたさは感じつつも、その後も英語を嫌いになることはなく、進んだ道々で、英語を使って私は世界中の人とコミュニケーションを取ることができた。結局、好きで夢中で学んだことはひとつも無駄にはなっておらず、いまも活きている。
若かりし私は、英語にフラれることが怖くて勝負ができなかったけれど、今年、人生で初めてTOEICに挑むことにした。”数検受けたい!”と大好きな数学に挑む息子をみて、私も負けていられないと思ったのだ。
TOEIC学習のアプリをスマホに入れ、日々の隙間時間を英語の勉強にあてること早3か月・・・
間違えても、知らない単語が出てきても、”勉強”という感覚はなく苦にもならなくて、私にとって英語は、純粋に好奇心を刺激してくれるものなのだと再認識できた。
来週末は、いよいよはじめてのTOEIC。
楽しんで向き合って、おいしいものでも食べて帰ってこよう。^^
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?