命の境目

「この木は生きているでしょうか?それとも死んでいるでしょうか?」
授業の終盤、私は問いかけた。
相手は小学3年生たちだ。

その木は根元付近から折れて、横たわっていた。
根と繋がっている部分も直径の半分近くはあった。

挙手で聞いてみたところ、生きている:死んでいる=3:1くらい。
どこからそう判断したか聞くと

「苔が生えているから死んでいる」
「まだギリギリ立っているから生きている」
「色の違う枝が生えてきているから生きている」

などの意見が出た。
苔むしても木は生きている
立ったまま枯れていることもある
色の違う細いたくさんの枝は折れた後に新しく出てきたもの、「生きよう」という意志
知っていることは話した。

さて、生きているか、死んでいるか
答えは?

「私にはわからない」と答えた。
直前まで「生きている」と言うつもりだったのだが、迷った挙句「わからない」と口から出てきた。
(冬芽が少し萎んで見えた)

こんな話を付け加えた。
車庫にサクラの丸太が置いてあった。
切られてしばらく経っているし、当然死んでいるものだと思っていた。
だが初夏になると芽吹くのだ。
明かりもないのですぐ枯れるのだが、鮮やかな黄緑色の葉を開くのだ。

人間は心臓が止まったら「ご臨終です」となる。
木は?そのような明確なラインはあるのか?

なんて難しい問いを小学3年生にしているのだ…(見ていた大人は内心引いていたかもしれない)。

「モヤモヤする」と感じてくれたら、自分のどこかに引っかかって残ったら、いつか何かに繋がるかもしれない。
1年楽しく過ごしてきて、最後も「楽しかった」と完結させるのは綺麗だけれどもったいない。

十年後二十年後に再会して「あの話…」の続きが話せたら面白い。
そんな妄想をどこかにしまいつつ、研鑽しよう。

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