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読書家になれなかったわたしへ
読書家という言葉にあこがれる。毎日浴びるように本を読んで、出かけるときさえ鞄には2,3冊の本を入れていて、少しでも暇があればページを繰っている。そんな読書家にあこがれる。
わたしは読書家になり損ねた人間だ。本を読むことをこよなく愛しているし、自分でも小説や詩やエッセイみたいなものを書いたりもするけれど、ついぞ読書家にはなれなかった。家族が読書家であっただけに、自分もそうなれないことに劣等感があった。
子どものころは本を読むのが苦手だった。「ハリー・ポッター」シリーズのハーマイオニーみたいになりたかった。でも、5分も本を読んでいると飽きてしまって、決して最後まで読み通すことができなかった。ようやく一冊の本を最後まで読み通すことができるようになったのは、小学校高学年になってからだった。わたしが覚えている限り、初めて自分でおねだりして買ってもらって、そして初めて最後まで読み通すことができたのは、カーリ・ゼーフェルトの『子どもべやのおばけ』だったと思う。それでも図書館で本を借りてきては、返却期限までに読み切らずにそのまま返すということを繰り返した。
中学生になったわたしは、本を読むことよりも、自分で小説を書くことに夢中だった。行き帰りの電車のなかも、授業中も、定期テストの問題用紙にさえ、小説の断片みたいなものを書き散らした。読むほうは、それほど多くなく、主に友達に借りたライトノベルを中心に読んでいたが、どちらかといえば漫画のほうが好きだった。『十二国記』ですら、途中でインフルエンザに罹って挫折してしまった。
高校生になって、図書委員になった。母や姉のような読書家にはなれなくても、家には山のように本があったから、本の傍にいると落ち着いた。司書の先生はとても優しくて、まるで第二の母のようだった。学校の帰りに、友達と区立図書館に通うようになったのもこの頃だった。そこでたくさんの本を借りた。「フェンネル大陸」シリーズと、運命の出会いもした。
大学生になって、昼夜逆転生活をして、ひきこもるようになった。時間が腐るほどあったので、貪るようにして母の蔵書を読み漁った。なぜか大学時代に1000冊の本を読むという目標を立ててしまったので、学校に出られるようになってからも、図書館の本を端から読んだ。村上春樹は特に好きだった。沼野充義先生の著書や訳書もたくさん読んだ。レーモン・クノーやナボコフなど、難解な翻訳書も、通学電車の中でこつこつと読み進めた。そうやって、無事に1000冊読み終えても、わたしは読書家になれたという気はしなかった。
就職活動で、「学生時代に最も力を入れたこと」いわゆる「がくちか」を考えたとき、わたしには「1000冊の本を読んだ」ということしかなかった。でもそれは、たぶん就職活動において求められるものではなかったのだろう。それに自分自身でも、そんなことしか言えないことに非常に違和感を覚えた。本を読んだ冊数なんて、自慢しても意味のないものだし、読書メーターなどを見れば、もっと山のように本を読んでいるひとも大勢いる。それにそもそもわたしは読書家にはなれなかった人間だ。まるで読書家のように偽ったって、空しいということは自分が一番分かっていた。
それでもわたしは、いつの間にか本を読むことがとても好きになっていた。読書は生活のうちの欠かせないものになっていたのだ。わたしはおしゃれをすることが好きだ。でも化粧品や服が買えなくても、別に生活はできる。でも本が買えなくなったとき、わたしの生活は彩りを欠く。読書は間違いなく生活を豊かにしてくれていたのだと気づいたのは、結婚して自分一人のためだけにお金を使えなくなってからだった。読みたいと思った本を一冊kindleで購入するのにも、真剣にそれが必要か考えるようになった。それはそれで良いことだとは思う。積読は一気に減った。買った本は読まないともったいないし、読んでいない本があるのに新しい本を買うことに気が引けるようになったからだ。でも本に対する貪欲さはますます増す一方だ。最近はkindle unlimitedで読み放題の本を次から次へと読み漁っている。このままいけば、もしかしたらわたしも、暇さえあれば本を読む、読書家になれるかもしれない。でも読書家になれなくても良い。本が好きだと胸を張って言えれば、それで何の問題もないのだ。