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わたしがここに居るならば
子どものころから文章を書くのが好きだった。初めて自分で考えた物語を書いたのは、小学校に上がるか上がらないかくらいのときだった。以前にも書いたことだが、中高生時代には、授業中も、通学電車の中も、果てはテストの余り時間にすら、小説や詩を書いていた。考え事をするときや悩み事があるときには、机に向かい何時間でも文章を綴った。それがわたしにとって当たり前のことだった。
でもいつからか、めっきり文章が書けなくなった。それ以外のことに掛ける時間が増えたからかもしれない。不思議なことだが、スマホを手に入れてソシャゲをプレイするようになって、文章を書く時間は大幅に減った。読書をする時間や映画を観たりする時間は少しも減らないどころか、増えさえしたのに、である。そして最近、自然に少しづつソシャゲ離れをした結果、またものを書く時間は増えた。
なぜソシャゲをプレイすることと文章を書くことの間に相関関係が生まれたのかはわからない。ほかにも様々な要因があるなかで、これが一番分かりやすかったというだけのことのような気もする。
でもいまのわたしは、この変化を歓迎している。再び文章を書くようになって、わたしの思考回路はものを書けなかった時期より整頓され、少しだけ理路整然とした。もしかしたら、ものを考えられなくなった結果、書けなくもなったのかもしれない。以前、わたしがnoteを書くのは、書くことを止めてしまったら、自分が自分でなくなってしまうような気がして怖いからだと述べた。そして確かに、noteを継続して投稿できていることに対して、わたしはとても安心している。いまのわたしは、何も書けなかったときのわたしよりもずっと好きだ。
文章を書く際の媒体は、以前の紙とペンというスタイルから、スマホかパソコンへと変わった。でもそれは大したことじゃない。どちらの方がより労力をかけずに多くの文章を書けるかといえば、それはもちろん電子媒体だ。紙とペンでは考える速度に筆記が追い付かないということがしばしばある。けれどスマホやパソコンではそれはあまり起こらない。わたしはものを書くときに初めから終わりまで流れるように書くことはあまりなく、よく文章が行ったり来たりする。だから手で書くよりも電子のほうが効率がいいのだ(そして指をたくさん使える分、スマホよりもパソコンのほうが圧倒的に効率が良い)。
最近始めた毎週1本三題噺のプロジェクトも、わたしが書く力と考える力を養うのにかなり役に立っている。ある程度長い文章を書くことで、タイピングも速くなったし、構成を考えることで頭も使うようになった。もちろん
まだまだ至らないところも多く、こんな駄文を世界中に公開してることに嫌気が差すこともある。でも公開するという目的と締め切りがあることによって、書き続けることができているのだと思う。
noteを始めて心からよかった。それが開設から4か月目のわたしの感想だ。