今の撮影、本当に楽しいですか?
ここ最近、鉄道写真のトラブルが理解できないほど異次元化していますよね〜。おかげで、何も関係のないところまで飛び火するものだから、悲しくて仕方がないです。
こういう話があるたびに思うのですが「なぜ写真を撮るのか」ということを考えないのだろうか?と思うのです。
私の撮影観:楽しく気持ちよく撮る
早速タイトル回収です。楽しくない撮影は趣味的に無意味です。気持ちよくないモヤモヤした気分も残したくない。正直、どちらも撮影していれば楽しくないし気持ちよくない日もあるのですが、「楽しく気持ちよく撮れる」瞬間は甘美なものですし、一種それを目指して写真を撮っているのかなと思います。
マナーに厳しい人のために一言付言しておくと、独りよがりが気持ち良いというわけではないですよ。トラブルが発生する撮影は当然フラストレーションがたまるし、後味の悪さにつながります。ただ一方、マナーを守りたくて写真を撮っているわけではない。撮影場所の調整、近隣への配慮などの環境構築は撮影の気持ちよさに直結するのかなと思います。
「鉄道写真欲しさに鉄道を撮っているわけではない。」
ここ最近、新しく発見したこと。「暇と退屈の倫理学」に「ウサギ狩りに行く者はウサギが欲しいわけではない」という1文があります。
さも当然のことですが、これは鉄道写真にも言えるのではないでしょうか。
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