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天牛名義考「名義史放浪編(なまえのれきしほうろうへん)」

平安時代の百科辞書『和名類聚抄(以下, 和名抄)』には, カミキリムシが「齧髪虫」,「蠰」(ショウ),「加美木里無之」と記載されています。 しかも, “髪を齧(噛)む虫也” とあたかもそれが習性でもあるがごとき解説があります(<A-1> 参照)。 これは, カミキリムシ・ファンとしては見過ごせません。 
また, 藤原行成の『権記』に記載された「天牛」は黄牛(アメウシ)の書き換えで, カミキリムシではありませんでした( <A-2> 参照)。 それなら,『広辞苑』にも記載のある天牛が, 本当はいつ頃からわが国で用いられだしたのか。 
こんなことを考え始めて, 事態は「気まぐれ平安三書探訪」(<A-1> ) ではおさまらなくなってきました。

<A-3> 中国, 恐るべし!

1. 旅立ち

源順(みなもとのしたごう)は「齧髪虫」を見出し語として自らの辞書『和名抄』(成立931-938年)にカミキリムシを記載した. かれはその中で「齧髪虫」の類語を挙げ, 「蠰(ショウ)」は中国の古辞書『玉篇』から,「加美木里無之(カミキリムシ)」は奈良時代の『漢語抄』からの引用としている*1 . しかし, 見出し語「齧髪虫」については出典を明らかにしていない. はたしてこれは源順の造語なのか. それとも中国の古典籍からの "盗用" なのだろうか.

また, 『和名抄』には天牛への言及はない. カミキリムシとしての天牛の語は当時の中国にもなかったのか. それとも源順がスルーしたのか.  謎は深まるばかりだ.

『和名抄』と中国の古典籍との関係を探らねば, この謎は解けまい. しか〜し, カミキリムシを求めて中国古典籍を渉猟することなど, わたしには到底無理. と, 煩悶していたら驚異的な文献に行き当たった. 百科事典『欽定古今図書集成』である.

『欽定古今図書集成』は清の康熙帝の命によって編纂された(1728刊). 項目(「部」と称している)ごとに, 類語と, 古典籍におけるその用例(「彙考」と称している)が記載されており, 全10,000巻, 総項目数100万超という想像を絶する大部の事典である.  中国, 恐るべし ! 
しかも, この『集成』に「天牛部彙考」(天牛部 彙考)があるとなれば, 拝見せずばなるまい . いざ, 旅立ちである(ネット上ですが)*2.

2. 「天牛部彙考」

早速「天牛部彙考」を見ると, そこに引用されている古典籍は『爾雅』(じが),『酉陽雑俎』(ゆうようざっそ),『本草綱目』(ほんぞうこうもく)であることがわかった. 源順が参照したはずの『玉篇』(6c成立)がないが, これは中国では早くに失われたというから,『集成』の所収とならなかったのだ.  源順は, 日本にのみ一部伝わったとされる『玉篇』写本 を見た, ということだろう*3 .

ところで,『爾雅』は中国最古の字書である. 成立は秦〜前漢, なんと紀元前なのだ. 中国, 恐るべし! また,『酉陽雑俎』は9世紀の唐代の随箪. さらに,『本草網目』は16世紀 , 明代に医薬学の観点から編纂された百科全書である. これらにカミキリムシにかかる記述がある, と『欽定古今図書集成』はいうのだ.

以下, 本稿は基本的には『集成』が引用した古典籍の文章を眺め, 必要に応じて他の写本も参照し, いにしえの中国にてカミキリムシを追いかけることにしたい.

2.『爾雅』の「蠰齧桑」

『爾雅』は, 前漢の武帝(BC140-BC87)の頃にはすでにあったされる中国最古の字書だ.事項を19の部門に振り分けて同義語を列挙した類語字書である.

早速, 19部門の15番目「釋蟲」をみよう.ここに「蠰」(ショウ)が登場する. つまり『玉篇』以前に既に記載があったのである. その見出し語は「蠰齧桑」. これは ”蠰, 齧桑”と読むようで,「蠰」に対し「齧桑」は類語ということらしい.つまり,「蠰」を蟲の名らしく日本語化すれば, "桑かじり" ということになる.

じつは, 類語字書としての『爾雅』の記述はそこまで. これに東晋の文学者, 郭璞(かくはく 276-324)が「註」を付して辞典っぽくなったのだ(下図).

『影宋本爾雅』
(宋代の刊本の復刻本. 松崎観瀾 校訂, 1844年刊).
内閣文庫/国立公文書館デジタルアーカイブ.
「釋蟲 第十五」(部分).
左から3列目に見出し語「蠰齧桑」がある.
それ以降の "割注" が郭璞による.

以下, ”蠰, 齧桑” の郭璞「註」を書き下してみよう.

 似天牛長角 體有白點 喜齧桑樹 作孔入其中 江東呼爲齧髪

(蠰,齧桑は)天牛に似て角長く, 體は白き點を有す.
喜(この)んで桑樹を齧り, 孔を作りて其の中に入る.
江東にては呼びて齧髪(ケツハツ)と爲す.

郭璞によれば, ”蠰, (別名)齧桑” は長い触角をもち, 体に白い点を有する蟲で, 桑を食害するという. しかも, ”蠰, 齧桑” は天牛そのものではなく天牛に似た蟲であり, 江東地方(長江下流南岸域)ではこれを「齧髪」と呼んでいる, というのだ. 郭璞の「註」はこれで終わっている.

ここに天牛の登場をみたが, それはあくまで ”蠰, 齧桑” の比較対象として記載されるに止まり, 正体は不明だ. ちなみに, 『爾雅』の「釋蟲」に天牛の見出し語はない. よって郭璞も解説していない*4.  また,「齧髪」(髪かじり)を ”蠰, 齧桑” の一地方名とするも, その呼称の由来までは解説していない.

3.源順のたくらみ

さて, ここで『和名抄』に戻ってみよう.
『和名抄』を「齧髪虫」に拘らずに眺めると, そこには『爾雅』( 郭璞「註」) の引用が随所にある. ならば当然, 「齧髪虫」を書くにあたっても源順は『爾雅』に目を通しており, そこにまず ”蠰, 齧桑” とあるのは承知だったはずだ.
また,『和名抄』が典拠として明記した『玉篇』, 今, これを直接知ることはできないが, 『玉篇』の重修本『大廣益會玉篇』(1013, 北宋, 陳彭年)*5 からその内容を窺い知ることができる. 同書には見出し語 「蠰」と解説 「齧桑蟲」 が記載されている(下図).  すなわち, 「蠰」とは, "桑を齧る蟲" である!

『大廣益會玉篇』(1013, 北宋, 陳彭年). 1651年頃のわが国での版本.
早稲田大学中央図書館蔵. 巻六所収「虫部」部分.
上段, 左から3列目に見出し語として ”蠰"がみえる.
その解説の前半(乃郎思亮二切)は ”蠰"の発音表記(*5参照).
本文は "齧桑蟲”で, 校訂者が「クハヲカム」蟲と訓読させている.


さて, まず, 源順が『爾雅』の郭璞「註」にある「天牛」をスルーしたのは穏当だ. 「天牛」が正体不明だからである.
しかし, 『爾雅』が「蠰」の同義語として挙げる「齧桑」( "桑かじり" ) については, かれは知りながらこれを黙殺したことになる.  そうして郭璞が一地方名として挙げたに過ぎぬ, しかも由来のはっきりしない「齧髪」を拾い, さらに, 『玉篇』の「齧桑蟲」 "桑を齧る蟲" を捩って「齧髪虫」を造語したとみえる.  
和名の "カミキリムシ" の起源を由緒正しい漢籍に擦り寄せた, ということだろう.  

だが, それなら見出し語だけでおさめておけばよかったのだ. にもかかわらず, かれは, “髪を齧(噛)む虫也” とわざわざ習性の如く解説したのである. これって, 学者としてはかなり問題だと思います *6.

(以下, <A-4> 新たな疑問 につづく)

『和名類聚抄』/那波道園 校訂(1667), 狩谷棭斎手沢本.
早稲田大学中央図書館蔵. 巻第十九, 蟲豸ノ類(部分).
右端末尾「齧髪虫」の「髪」の左に添字「桑」がある(*6 参照).
これは版本由来で, 那波道園の校訂によると思われる.
それ以外の書入れは本書を愛蔵した(=手沢本) 狩谷棭斎(1775-1835)によるという.

*1
この『漢語抄』は, 奈良時代(養老年間, 717-724)成立の『楊氏漢語抄』とは別書という/川瀬一馬,「平安朝以前に於ける辭書」, 青山学院女子短期大学紀要, 1952, pp.13-14). また, 両書とも伝存せず, 詳細は不詳という/小学館, 日本大百科全書(ニッポニカ). 以上は, <A-1> の注に記載分の再掲.

*2
『集成』の「天牛部彙考」は嬉しくもWikisourceで見ることができる.
https://zh.wikisource.org/wikVPage:Gujin_Tushu_Jicheng,_
Volume_529_(1700-1725).djvu/86

*3
わが国に伝わった『玉篇』の写本残欠(完本でない状態)は現在, 京都国立博物館や早稲田大学図書館に分散保管されており, 国宝に指定されている.

*4
内閣文庫『影宋本 爾雅』(松崎観瀾 校訂, 1844年刊)の「釋蟲」で確認.

*5
『大廣益會玉篇』宋版, 元版補刻本が宮内庁書陵部藏(マイクロデジタルデータ)になっており, そこには「蠰 乃郎思亮詩尚三切 齧桑蟲」とある(原文は文字空けなし).
中央の文字列は「蠰」の発音表記で, 既知の文字から音を拾う方式だ.
この場合, 文字列の初めの6文字が発音に絡み, 「三切」は分節数を表す.  すなわち, 2文字×3組(三切)の乃郎, 思亮, 詩尚のうち, いずれか2文字の先頭字の子音 sh と, 後続字の母音 o(の長音)を組み合わせて読む, という次第.

*6
早稲田大学中央図書館蔵『倭名類聚抄』(那波道園 校訂)では,「齧髪虫也」の「髪」の左に「桑」が添えられている(挿図参照).
『玉篇』(ここでは『大廣益會玉篇』) の記載が「齧桑蟲」であることに基づいて『和名抄』を正そうとしたのだろう. 校訂者, 那波道園は江戸前期の儒学者. 先学の業績を冷静に眺めるその良識に, 乾杯!.





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