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天牛名義考「名義史放浪編(なまえのれきしほうろうへん)」

紀元前の昔, 中国ではすでに『爾雅』と呼ばれる字書が編纂されていました。 それは "字" 書, つまり単語リストで語釈がないのですが, これに「蠰齧桑」(蠰, 別名齧桑) という蟲名が記載されています(<A-3>)。 別名から想像するに, 蠰は "桑を齧る蟲" のようです。
わが国平安時代の学者, 源順(911-983)は自ら編纂した辞書『和名抄』で, 蠰を日本でいうところのカミキリムシだとしています(詳細は<A-1>,<A-3>参照)。
さて, 興味深いのは, 『爾雅』を辞書に仕立てた郭璞(かくはく 276-324)の「註」です。 かれは「蠰齧桑」を ”天牛に似る” と記しました。 ただし, 「天牛」の正体には触れていません(<A-3>)。

明の本草学者, 李時珍(1518-1593)は自著『本草綱目』の中で「天牛」について語っています。 それによれば, 「天牛」はどう考えてもカミキリムシです。 しかもかれは, 郭璞が「蠰齧桑」を ”天牛に似る” としている以上, 両者(「天牛」と「蠰齧桑」)は「二物」, つまり同一ではないと結論づけました(<A-4>, <A-5>)。
さて, それなら「天牛」とは何なのでしょうか。


<A-6> 李時珍の叡智 天牛編(後編)


1.「天牛」はどのように語られているか

ここで , これまで紹介してきた中国の古典籍の記載内容を「天牛」に着目して整理してみたい*1. 
原文は省略して書き下し文を再掲し, それをざっと解説しておこう.

(1) 『爾雅』 「註」 郭璞
(蠰齧桑は)天牛に似て角長く, 體は白き點を有す. 喜(この)んで桑樹を齧り, 孔を作りて其の中に入る. 江東にては呼びて齧髪(ケツハツ)と爲す.

・・・郭璞による解説である. すなわち, ”蠰, (別名)齧桑” は天牛に似て長い触角をもち, 体に白い点を有する蟲で, 桑を齧って(幼虫は)その中に入る. 江東地方(長江下流南岸域)ではこれを「齧髪」と呼んでいる.

(2) 『酉陽雑俎』 段成式
天牛蟲, 黑き甲蟲也. 長安では夏中に此の蟲, 或いは籬壁の間に出でて必ず雨ふる. 成式(著者の名), 七度之を驗ずるに皆應ず(確かめたところ, みな当たっていた = そのとおりだった). 

・・・著者の段成式は, 天牛(蟲), 黒い甲虫とする以外, 触角などへの言及もなく, 天牛蟲と蠰・齧桑との関係にも触れていない. ただ, そやつは時々垣根(籬壁)に出るらしい. 降雨との関係は奇談なり.

(3) 『本草綱目』 李時珍
(a)「釋名」
天牛またの名を天水牛, また八角兒. 一角のものは獨角仙と名づく. 李時珍曰く, 此の蟲, 八の字の如き黑き角を有す. 水牛の角に似る故に名づく. また, 一角の者有り.

・・・李時珍による名称の由来の解説.  「天牛」は, さらに天水牛とも八角兒とも呼ばれる. 八の字のような(八の字型に開いたという意味か)黒い触角を有して, それが水牛の角に似ていることが「天牛」の由来だとしている.

(b) 「集解」
陳藏器日
蠐螬(スクモムシ:甲虫の幼虫を指す呼称). 蝎蠧(キクイムシ. 木を食い荒らす虫の総称か)と云う. 朽木中に在りて木心を食し, 錐刀の如く穿つ. 口黑く, 身(み)長し. 足短く節ゆるやかにして無毛. 春雨に至りて後, 化して天牛と為る. 兩の角, 狀は水牛の如し. また, 一角のもの有り. 色黑く背は白點を有す. 木に縁(よりて)上下し, 飛騰するも遠からず.

・・・李時珍にとっては本草学の大先輩, 陳藏器の記述の引用.  幼虫は朽木(樹種の特定なし)の中にいてその心を食し, 錐のように穿孔する. その口は黒く, 体は長い. 脚は短く, 体は緩慢な節を有して無毛. 
(新暦でいえば) 5月ごろに羽化して天牛となる. その天牛には2本の角(触角)があって形状は水牛の角のようだ. 色は黒,背に白点あり. 樹木を上下に移動し, 飛翔するが遠くまでは飛ばない.


李時珍日
天牛, 處處に之有り, 大きさ蟬の如し. 黑き甲(鞘翅)は光りて漆の如し. 甲(鞘翅)の上に黄白點を有す. 甲(鞘翅)の下に翅(後翅)を有し能く飛ぶ. 目の前(さき)に二本の黑き角(触角)を有す. 甚だ長く, 前に向きて水牛の角の如し. 能く動く. その喙(くちばし)は黒く, 鉗(金ばさみ)の如く扁(扁平)にして甚だ利(鋭利)なり. また, 蝶蛉(ムカデ)の喙に似る. 六足が腹に在り. 乃ち諸樹は蠧蟲(蝕む虫)の化(羽化)する所也. 夏月に之有りて出づれば, 則ち雨を主(つかさど)る.

・・・李時珍の自説展開.  「天牛」はいろんなところに現われ, 蝉ほどの大きさ.  (鞘翅は)漆黒で艶があって黄白色の斑点を有する. 甲(鞘翅)の下には翅(後翅)があって能く飛ぶ. 目の前方に黒く長くよく動く水牛の角に似た触角がある. また, ムカデの口のような鋭利な大腮がある. 脚は6本. 幼虫はいろんな種類の木を食害し(朽木とは言っていない), そこで羽化する. 末尾の "夏季にこれが出現すると雨が降る" は段成式の受売りか.


2.一覧表にすると

次に上で確認したことを一覧表にしてみよう(下表).

『欽定古今図書集成』「天牛部彙考」所収の古典籍にみる
カミキリムシ類の記載事項(筆者作成)


蠰・齧桑も「天牛」も触角が長い. が, 触角が水牛の角に似るとの言及があるのは「天牛」だ. 
蠰・齧桑も「天牛」も鞘翅には白または黄白色の斑点がある. しかし, 鞘翅自体の色が黒いのは「天牛」である. 
また, 寄主植物(もしくは後食対象)は, 蠰・齧桑では桑だが,「天牛」は桑に限らない. 「天牛」は朽木に付くという陳藏器の説が気になる. が, 後世の李時珍は朽木としなかった.  

どうやら, 蠰・齧桑と「天牛」とは, 今でいえば “種(もしくは属)” に相当するレベルで区別されていたようだ. つまり,「天牛」は 古くはカミキリムシ一般を指す呼称ではなかったのである. 『爾雅』の「註」をしたためた郭璞は, 蠰・齧桑を “天牛に似る” と記載しながら, 「天牛」そのものの解説を省いた. それが理解を難しくしていた. 李時珍はそこを見逃さず, 蠰・齧桑を「天牛」とは「二物」だとまず明記した. そうして, 陳藏器の解説を参照しながら, より正確に「天牛」の特徴を記述したのである. 李時珍の叡智を称賛したい.


3.「天牛」はゴマダラカミキリ属のカミキリムシ

これまでの考察 ---李時珍が集約してくれた知見に依るところが大きいが--- から, 少なくとも「天牛」については次のように言えそうだ. 

触角が長く形状は八の字型, 鞘翅は光沢のある黒色. その鞘翅には白または黄白色の斑点がある. 桑に限らず諸樹(生木)を食害する. これすなわち, ゴマダラカミキリ(Anoplophora)属のカミキリムシである.

日本に普通に産する A. malasiaca (下図)は鞘翅の斑点が白色なので, "白または黄白色の斑点を有す"「天牛」との関連性に疑問符が付くかもしれない*2.
しかし, 中国産の A. glabripennis(和名:ツヤハダゴマダラカミキリ) には斑点が黄色の個体がちゃんとあるようだ. ただし, 中国産 A. glabripennis の全てが黄色斑点を有するわけではないらしい. すなわち, 中国北中部~東部産が白色斑点, 北中部~西部産が黄色斑点であり, さらに, 黄白色斑点の個体が両者の交雑の結果として出現しているという*3.

さて, 「天牛」がゴマダラカミキリ(Anoplophora)属のカミキリムシなら, "天牛に似る" という蠰・齧桑の正体やいかに. が, この続きは<A-7> にて.  次回投稿は「種名考察編」に戻って <B-7> キヌツヤハナカミキリの予定です.


ゴマダラカミキリ Anoplophora malasiaca
左:♀28.Vll.2019 右:♂26.Vll.2011
「天牛」はこの仲間らしい. A. malasiaca は日本ではお馴染み.
光沢のある黒色の鞘翅に白斑を散らす.


*1
ここにいう「中国の古典籍の記載内容」とは, 『欽定古今図書集成』(1728刊)「天牛部彙考」所収の古典籍のそれである.

*2
日本産では A. oshimana (オオシマゴマダラカミキリ)に黄色斑点の個体が現れる.  

*3
秋田らは華南農大教授の言として, 黄斑を持つキボシゴマダラ A.nobilis はツヤハダゴマダラ A. glabripennis のシノニム(同種異名)として扱われていること, 斑点の色の分布状況がかくのごとくだと報告している. 
この A. glabripennis は日本にも進出してきており, 秋田らは, 神戸六甲アイランドのアキニレから採集したという同種の白斑と黄白斑の個体写真も紹介している. その斑点は A. malasiaca より大ぶりである. 
以上, 秋田・加藤・柳・久保田:兵庫県で発見された外来種ツヤハダゴマダラカミキリ, 月刊むし, No.601,pp.44-45, 2021 による.

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