天牛名義考「種名考察編(しゅのなまえのことなど)」
2024年12月13日以来の <B>「種名考察編」です。
本題はアカアシオオアオカミキリですが, 本稿はその前編で, ほとんどすべてが昆虫採集封印から40年ぶりの昆虫採集再開の経緯に割かれています。 封印の事情はやや重くて全体のバランスを崩すので, 本文ではなく脚注(*3)に回しました。
ちなみに, 冒頭の写真はヤマトタマムシの鞘翅です。
<B-4> アカアシオオアオカミキリ降臨:前編
1. 少年時代
少年時代, 虫採りに夢中になっていた. 昆虫図鑑をうっとりと眺めて, こんな虫が採れたらいいのにと思っていた. 図鑑の巻末には効率的な採集方法が載っていたが実行には至らなかった. たとえば灯火採集(ライト・トラップ). 月のない蒸し暑い晩, 林を見下ろす見晴しの良い場所に白布を幕状に張り, アセチレン灯や蛍光灯を灯すと, 光に誘われて森林から昆虫が飛来し, 白布に止まると書いてある. だが, 夜の山中に少年一人どうやって行くのか. しかも, アセチレン灯の入手は? 蛍光灯なら電源はどうする.
やむなく, 自分がライト・トラップに興じている想像画を描いた. 手前にたくさんの捕虫瓶を, 白幕には欲しい虫を存分に描き込んだ. そうしてその絵をまたうっとりと眺めていた. 一種の「臥遊」*1 である.
夜明け前の街灯に行けと小学校の同級生に教えられ, 勢い勇んで行ってみたことはある. 夏休み, 午前3時頃に眠い眼を擦りながら起き出し, 放送局や公園で青白い光を放つ街灯を見歩いた. 灯具を覆う金網に大型の甲虫が張り付いているのが見えた. 巨大な複眼をもつ茶褐色のウスバカミキリ, 黄褐色の精悍なミヤマカミキリに狂喜乱舞した. しかし, それらを街灯の高みからどうやって手元に引き寄せたか, 捕まえてそれらをどうしたか, 全く覚えがない.
小学6年の頃だったか, 夏のある日, 父の実家に遊びに行った. 当時そこには叔父が住んでいた. かれは部屋で蝶の標本箱を見せてくれた. そのあまりの美しさにわたしは思わず息を呑んだ. オオムラサキ, ベニヒカゲ, クジャクチョウ・・・様々な蝶が一定の ”型” に従って整えられ, ガラスの蓋の下に凛として並んでいた. それは虫体の整型技法 "展翅" の成果だった*2. いったい, 虫を捕まえてどうするのか. その答えの一つがそこに示されていた.
あのときの価値観の転倒! それまでの自分の虫捕りのいっさいが無価値以下に転落すると同時に, これから新しい可能性が無限に開かれていく予感に身震いした. そして, わたしは蝶の採集に夢中になった.
しかし, 蝶の採集を続けるうちに "固定" 方法について複雑な思いが重なっていった*3. そうして中学2年の夏を最後に採集はやめ, やめると決心したら昆虫全般に対する採集熱がすっかり冷めてしまった. 冷めたはずだった.
2. 大眺望
それから40年近くが経過した. 職場のある東京以外にも生活拠点が欲しくなり, 長野県や山梨県で土地を探した. 探しながら, 林の中に籠るよりも見晴らしが欲しいと思うようになった.
2004年, 詳しい経緯は忘れてしまったが, 山梨県の某村役場(当時)に紹介され, 不動産業を営むH氏に会った. 氏は, われわれの話を聞いて, そんな物件なら心当たりがないわけでもない, と, 遠くを見るような眼をして言った. そうして, これから一緒に現地に見に行ってみますかということになった. 物件は遠くないのか.
氏が案内してくれたのは, ある山の西の山裾. 背の高いアカマツやカラマツの防風林が南北に連なった傾斜地だった. 林を背にして西を眺めると, 足下から畑地が大きく緩くうねりながら下降し, そのずっとさきが広い谷になっているのが見える. そうして, その谷の向こうには雪を戴いた巨壁が連なっている. 南アルプス北端の山々だ. 左手に鳳凰三山, 右手には甲斐駒ケ岳. 間の奥にアサヨ峰. 甲斐駒ケ岳はそのピラミダルな峰の左隣に摩利支天と呼ばれる切り立った奇峰をしたがえている.
甲斐駒ケ岳のさらに右方, 北西に眼を転じると, 波打つ稜線が低まっていくその手前に雄大な傾斜が伏している. 八ヶ岳連峰の裾野だ. これが上昇して編笠山, 権現岳となり, 奥に阿弥陀岳, 鉾のごとき赤岳, そして横岳.
八ヶ岳の裾野に目を戻すと, それが南アルプスの稜線と出会うあたりの遥か遠くに急峻な白い山並みが見える. あれは北アルプスか. 方角と並び具合からすると, 左の山塊が穂高連峰, 右は蝶ヶ岳や常念岳だろう.
なんという眺望! なんという晴れやかさ!
少年時代, 『アルパイン・カレンダー』の写真で目にした山々が目の前に並ぶ. かの谷文晁先生も瞠目疑いなしの "実景名山図会" だった*4.
こっ, 購入!
こうして, この土地に家屋を建てることになった.
ところで, 購入した土地は東西に並ぶ6区画のうちの売れ残った一つだった. それらの区画の北側と東側には林が広がり, 近隣にはすでに越してきた人たちの住居があり, そこには薪ストーブがあり, したがって, その庭先には薪や伐採木が積み重ねてあるのだった.
林, 薪, 伐採木. これらはカミキリムシの産地たることを暗示して余りある. しかし, 土地の購入時点では昆虫採集のことは全く念頭になかった.
3. 玉虫の変
2006年7月. 都内の職場の近くで仲間と一杯やっていてふと気がつくと携帯電話(当時)に着信履歴があった. 作陶を兼ねて山梨の新居に住み始めたばかりの妻からのメールだった. 「図らずも “タマムシのような” 美麗な甲虫を捕えたが, 何を食べるのか」とあった. 着信後だいぶ時間が経っている. さすがに先方は痺れを切らしたらしい. 自分でネット検索し, それがヤマトタマムシであり, エノキの葉を後食(成虫の食餌行為をその筋ではこう呼ぶ)すると突き止めたようだった.
ヤマトタマムシか. せっかくだから, まあ一目見ておくか, と, 鷹揚に構えて, もともと月末に行く予定だった山梨に赴いた.
山梨に到着すると, 家の居間の片隅に昆虫飼育用の透明プラスチックケースが据えてあった. 中には近隣の庭から譲り受けたというエノキの枝葉が「活けて」あり, そこに輝かしい甲虫が止まっている. そして, いつの間にかその前に妻が陣取ってじっと眺めているのだった.
水を入れた瓶に枝ごと活けるのはエノキの葉の鮮度を保つためという. だが, そんな工夫をしても, ヤマトタマムシはすぐに葉を食べるとは限らない. ストレスがあるとエノキを食べ物として認識しないらしのだ.
ネット上には “2日絶食すると死ぬ” と恐ろしいことが書いてある. なかなか食べないようなら, かれを管状の容器に入れてその口をエノキの葉で塞ぐと, それを齧って脱出を図ろうとするうちに食餌だと認識して食べ出す, という秘術すら紹介されていた.
ヤマトタマムシは幼虫期にエノキの材部を穿孔しながら食害して育ち, 蛹を経て羽化すると, 今度は外に出るため内側から材部を齧る. この習性を餌付けに利用するのだという. 妻曰く, 当初, かれはケースの中を忙しく動き回り, エノキの葉にも止まったが, それを食べる気配は全くなかった. いよいよくだんの秘術の実行かと思いかけたとき, ふとしたことで葉の縁にかれの口吻が触れ, 触れるや否や葉を夢中になって食べ始めたという. 一部始終をじっと眺めていたのか!
バシッと音を立て, 開いた窓から妻のジムニーに飛び込んで来たというヤマトタマムシ. かれは, 今, まさに, エノキの葉を六本の脚で表裏から挟み込み, 葉の縁をなぞるように小さな頭部を上下させてもぐもぐ食べている.
今になって振り返れば, これは宿命(さだめ)だったのだ. このヤマトタマムシを目にした途端, ここに来るまでの鷹揚な気分は雲散した. 間, 髪を容れずに沸き起こったのは, 少年時代に封印したはずの昆虫採集熱だった. そうして, 奇しくも, 昆虫採集熱に呼応する環境は周囲に広がっていたのである. 林, 薪, 伐採木.
世に言う, “玉虫の変” である.
4. 降臨
2007年8月1日. おおよそ10日ばかりは山梨に滞在する時間的余裕を得て, 念頭にあったのは "あの" 灯火採集(ライト・トラップ)の実践だ. 道すがら白布と照明器具とを買い込み, 庭先に簡単なトラップを設営するつもりである.
もとより本格的なものではない. ただ, 懸案の電源は自宅からとれる. “普段, 林の中に隠れている昆虫をこちらから探し歩くのではなく, 向うから一カ所に集まってもらう” のだから, これほど効率の良い採集法はない. にもかかわらず, それを絵に描いて耐え忍ぶしかなかった少年の無念を晴らす日が, やっと来たのだった. 笑いが止まらない気分であるぅわはははは・・・.
第一夜. 夕刻, 自宅の南側の窓に添わせて白布を張り, 購入したばかりの灯具を設置. 日没を待って点灯. 東側に広がるアカマツ・カラマツの防風林から虫を呼び寄せるのがねらいだ. しかし, コガネムシ類のみ飛来してカミキリムシはクロカミキリ1頭のみ.
第二夜. ライト・トラップ設営直後に驟雨. バタバタの撤収.
第三夜. 気分を変えて自宅の北側の庭先に園芸用の竹竿を組み, そこに白布を張って灯火を点灯. 敷地の北の縁にはクヌギやクリの木があり, 小道を挟んで広葉樹と針葉樹の混合林が広がっている. その林縁を灯火が煌々と照らし出した.
一杯やりながら, 折々に状況検分に行く. しかし, 成果は一向に上がらない. 灯火の傍らでしばらく様子を見ていると, 数種類のコガネムシと大型のエゾゼミは騒音とともにやって来る. カミキリムシといえばお馴染みのアカハナカミキリが2頭のみ. といっても本種は通常は昼に活動するのだが.
ライト・トラップには, 次から次へといろんな種類のカミキリムシが飛来するかもしれないと意気込んでいたわたしの, 笑いが止まらない気分はだんだん薄れてきた. 居間に戻るたびに曇っていくわたしの顔色を, 妻はなんだか気の毒そうにうかがっている.
同夜22:00時頃, あきらめずに庭先に出向いた. すると, なんとっ!
(<B-5> につづく)
*1
昔, 宗炳(そうへい, 375年 - 443年)という中国の画人が, 老いて山河を闊歩できなくなると, 部屋の壁に山河を描いて, 臥したまま画中に遊んだという故事による.
*2
蝶の場合, 翅を広げた状態で虫体を整型することを展翅という. トンボも同様. 甲虫の場合はふつう6脚と触角を整えた標本を作る. これを展足(整脚とも)という. 少年のわたしはそうした技法のあることすら知らずにムシ好きを自称していたのである.
*3
採集家は標本作成のために昆虫を殺すことを ”固定する” と表現する. 後ろめたさの現れだろう.
蝶の "固定" では, その胸部を親指と人差し指で挟んで圧迫して窒息死させる. "固定" の最中, 蝶は窒息の辛さを口吻や前脚で訴える. その苦悶の様子にこちらも平然としてはいられない. 拝み詫びながら, 動かなくなるのを待つのである. それを繰り返し, 繰り返しづらくなり, 蝶の採集は封印した.
2006 年, 山梨でヤマトタマムシに遭遇して以来, 採集熱は甲虫, とくにカミキリムシに向けられた. 通例, 採集家は甲虫の ”固定" に薬物を使用する. わたしは紆余曲折あり, 薬物を避けて冷凍庫で凍死させる方法を選択した. カミキリムシを生体のまま適当な大きさのチャック付きビニール袋に入れ, それをタッパーにおさめ, そのタッパーを冷凍庫に保存するのである. 凍死は他の "固定" 方法よりも昆虫の苦痛が少ないだろう.
が, それは都合のよい自己弁護に過ぎない. どんな方法にせよ意図してかれらの命を奪うことに変わりはない. いや, おそらく, 冷凍庫に入れてしまえば昆虫の死と向き合わずにいられる, という本音がそこに潜んでいると告白せねばなるまい.
自然界ではいずれ土に還る虫体を, 美しく手元に留めおき, 眺め, つぶさに特徴を比較し, それについて語りたいという欲求を抑えきれない.
どうあがいても昆虫採集は罪深い, と, 観念するほかない.
*4
谷文晁(1763-1840). 近世日本の画家. その画業の一つが『日本名山圖會』(1804). 実景の写生を基本とした真景図を得意とした.