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天牛名義考「種名考察編(しゅのなまえのことなど)」

生まれて初めてのライト・トラップ。  白布に続々とカミキリムシが飛来するかと思いきや, さにあらず。 第1夜はクロカミキリ1頭。 第2夜は驟雨。 第3夜は昼に活動するはずのアカハナカミキリ2頭。 
現実はこんなものなのかと肩を落としていた矢先だった。  同夜10時頃, あきらめずに庭先にまた出て行くと, おおっ! 白布には想像だにしていなかったカミキリムシが到来していた。

冒頭の写真は, 2024年8月8日のライト・トラップに来訪したヤママユガ。


<B-5> アカアシオオアオカミキリ降臨:後編


1. 祝福

アカアシオオアオカミキリ. まさに降臨と言うほかなかった. 頭部から前胸背板, 鞘翅が光源に照らし出されてラメ入りのエメラルドのごとく輝いている. しかも, 大腮, 触角, 六脚は赤褐色. 見事な色彩対比だ. 気持ちを落ち着かせ, 補虫瓶(ある考えによって薬物は封入していない)を近づけ, 指で少しずつ中に誘導すると, 鮮やかな鞘翅をキラキラさせながら, かれは渋々中におさまった.

そして, この夜, 収穫といえる収穫はこれだけだった.

某図鑑によれば, 国内で本種の採集が確認されているのは山梨県を含む十数都府県である. しかもそれらは日本列島に虫喰い的に分散している*1 . 
また, ミドリカミキリ, アオカミキリ, オオアオカミキリなど他のアオカミキリ類が日中活動性なのに対し, 本種は夜間のみ活動するらしい. 寄主植物はクヌギだという. たまたま庭のクヌギの直近でライト・トラップを仕掛けたのが功を奏したのかも知れぬ. 

というわけで, 「これほど効率の良い採集法はない」という実感は希薄ながらも, ライト・トラップの初歩は第3夜になんとか祝福されるべきものとなった.

アカアシオオアオカミキリ  3.Ⅷ.2007
「真夏の夜の夢」の妖精ティターニアか!?


2.属名 Chloridolum 談義

さて, ここからが, 天牛名義考「種名考察編」としての本題である. 前置きが長くてすみません. 
まず, 学名の解釈に挑戦してみよう. 学名は Chloridolum japonicum (クロリドルム ・ジャポニクム). このうちの属名の解釈にかかる悪戦苦闘ぶりを下記にそのまま披露します.

和名でオオアオカミキリ属とされる本属は, 学名では Chloridolum. 某図鑑は「緑色の成虫の意」とする*2. オオアオカミキリ属の虫体背面の輝くような緑色に照らして, ここに異論を挟む余地はないようだ. が, 念のため, 関連しそうな語を羅和辞典で探ってみよう. すると, chlora というギリシア語起源の語(f, 女性名詞)が見つかる. その語釈は「エメラルドの一種」.

Chlori- を, 複合語をつくるために接合辞 -i- を用いた chlora(=エメラルド. 語幹はchlor)の変形だと仮定して話を進めてみよう.  すると, 属名は Chlor(a) -i- dolum という構成で, 後分(複合語の後半部分. 後節とも)の dolum が何か, が問われることになる. 残念ながら羅和辞典に dolum という語は見当たらない. ただし, dolium ならあって, 語釈は「(ぶどう酒を貯蔵するための)かめ」(n,中性名詞) である. 甕. 

オオアオカミキリ属の他種同様, 本種の前胸背板を見ると, 上端と下端が帯状に縁取られて見え, かつ側縁に突起がある. それが, 高台と縁(ふち)があって持ち手が備わった "甕" に見えなくもない. もちろん, 前胸背板のこのような形状は他属には見られない, というわけではない. しかし, 思いのほか多くはないようだ.

つまり, Chloridolum は Chloridolium の省略形で, “エメラルドの甕(のような前胸背板をもつカミキリムシ)” という趣旨ではなかろうか. 
学名では, 発音上の便宜, 語の長さ調整などからラテン語の意図的な ”改造” が許されるらしい. そうした事情から, Chloridolium の後分の i の一字を割愛して Chloridolum とした, というのが属名の語義をめぐる一つの仮説である.

だが, ほどなく, この仮説には大きな問題があることがわかった. "異なる言語による複合語は回避すべし" という複合語構成の原則に抵触するのだ*3. つまり, 後分 dolium (省略してdolum?) がラテン語なのに対し, 前分 chlora がギリシア語起源なのである. かくして, "エメラルドの甕" 説は棄却されなければならなくなった. ううむ, む, 無念じゃ.

頭を抱えていると, ひょんなことから羅和辞典でギリシア語起源の idolum (偶像)という語に行き当たった. こんにちの "アイドル idol" の語源だろう.
すると, Chlor(a) -(o)- idolum で, ”エメラルドの像”という解釈が成り立つ*4. また, エメラルドという色彩から離れてしまえば, 前分は, ギリシア神話の "花の女神 Chloris" という可能性もある. クローリスは当然ギリシア語起源だ.  よって, Chlor(is) -(o)- idolum, すなわち "花の女神(の像)" という解釈も可能になる. 

意味としてはどちらも, この美しいカミキリムシにふさわしいと言えよう. が, クローリスはローマ神話で Flora (フローラ). この女神は春の象徴でもあるらしいので, "真夏の夜の夢" のようなこのカミキリムシの名としてはどうかな. やはり, ここは色彩を反映した "エメラルド" が穏当かと思われる. "像"という言い回しが引っかかるけれども*5. 

ちなみに, idolum は中性名詞(n). 複合語は後分が品詞を決定するので, Chloridolum は中性名詞ということになる.


3.種小名=地名 廃止論

種小名(品詞としては形容詞もしくは形容詞化させた語が多い)は属名(ふつう単数主格名詞)に対して修飾語のような役割を果たす. ここで, ラテン語文法にしたがい, 種小名は属名の "性" に合わせた形になっている必要がある.

本種の種小名 japonicum は地名で, 「日本の」という意味であることは言わずもがなだ. しかも, 中性形 (男性形:japonicus, 女性形:japonica) である. これは, 属名の ”性” に対応させた結果のはずで, 上で確認したように Chloridolum が中性名詞であることと矛盾しない. これはこれでよし.

さて, ところで, この種小名の地名としての意味はなんだろう. 本種がアジアでも比較的狭い範囲, 日本を含む東アジアに分布しており*6, 日本産の個体がタイプ標本というところだろう*7. それでも, 日本特産種というわけではないのだ. だから, japonicum には「日本の」ではなく, 「日本で獲れた」ぐらいの意味しかないということになる.

人名を学名に組み入れる ”献名” よりはマシだが, 地名を種小名にするのはやっぱりいただけない.


4. 和名に軍配

以上の検討を経て, 本種の学名 Chloridolum japonicum の語義は, "日本で獲れたエメラルドの像" ということになった.
ううむ. こうやってあらためて眺めると, 属名の前分 Chlora はともかく, 後分 idolum がどうにもまずいな. (あくまで語義が "偶像" という前提だけれども)抽象的でどんな昆虫にも該当する. 虫体の特徴を反映しづらいのだ. その上, 種小名が特産地でもない地名ときている.
このような名付けをみると, カミキリムシとその名前との分かち難い結びつきなど学名ではほとんど期待されていないかのようだ.

これに対し, 和名アカアシオオアオカミキリは虫体を彷彿とさせる. それだけでなく, アカアシ - オオアオ - カミキリと畳み掛けるような語感がいい. しかも, その複合語構成が合理的だ.

アオカミキリ + 大きい = オオアオカミキリ(ただし, アオカミキリは別属)
オオアオカミキリ + 脚部が赤褐色 = アカアシオオアオカミキリ

このように, 本種周辺の和名は, 特徴を表わすことばを積み上げることで近縁種との差別化を図る構成になっているのである. ベニカミキリ, ヘリグロベニカミキリもそうだった.  素朴といえば素朴. また, これをやりすぎると名前が途方もなく長くなる嫌いはある. が, この程度なら問題あるまい. 
特徴記載に有利なはずの二名法で, わざわざ地名なぞを組み入れて "ことばの無駄遣い" をしている学名よりも, 素朴な和名に軍配だ.

学名はいっそのこと, 属名 + 種小名+タイプ標本採集地名の三名法にしてはどうか. このとき, 種小名は必ずその種の色彩, 形態その他の外貌の特徴を充てるものとする. 献名は廃止. もちろん, 標本ラベルに学名を記載する際には, タイプ標本採集地名は省略してよい. などと吠えても, 学界では誰にも相手にされないことはわかっている・・・のだがね.


次回投稿は, 天牛名義考「名義史放浪編」に戻って, <A-5> 李時珍の叡智 天牛編 の予定です.


*1
日本鞘翅目学会編:『日本産カミキリ大図鑑』, 講談社, 1984, p.299.  同書は日本産カミキリムシのほとんどについて分布を日本地図で図示する貴重な図鑑だ. 下にアカアシオオアオカミキリの分布図(付図264)を転載する. これによれば, アカアシオオアオカミキリは地理的条件で括れない不思議な分布を示す. が, その要因にかかる解説は同書にない. これはこれで興味深い研究課題ではある.

アカアシオオアオカミキリの分布を示す『日本産カミキリ大図鑑』所収の付図264
斜線(実線)の都府県は採集記録あり(その筋の雑誌に報告されたという意味だろう),
斜線(破線)の都府県は採集(の事実はあるが)未記録だとしている.

*2
小島圭三, 林 匡夫:『原色日本昆虫生態図鑑 Ⅰ カミキリ編』, 保育社, 1969, p.67.

*3
平嶋義宏:『生物学命名命法辞典』平凡社, 1994 には次のようにある. 「複合語の学名を作るに当って第一に注意すべきことは, ラテン語とギリシア語を混用した複合語(これを混成語(名)あるいはハイブリッドという)を作ってはならぬことである. 動物・植物・細菌のどの命名規約でも, 混成語の学名を嫌い, それを作ってはならない, とうたっている」(pp.46-47). この文面からすれば, 混成語の回避はかなり厳しい掟のようである. だが, 同書は, 続けて次のようにも記している. すなわち, 猿人 Australopithecus(アウストラロピテクス) は, 前分 australis(南の)がラテン語, 後分 pithekos(猿)がギリシア語起源. 何なんだ!?

*4
ギリシア語起源の語を用いた複合語では, 接合辞を -o- とするのが原則とされる. chlor-o-form (クロロフォルム(英語). 現代ラテン語では chloroformium.
前分は chlorum で意味は塩素) はその好例. この原則は植物学の世界では比較的厳密に守られているが, 動物学は甘いらしい. しかし, 本種の属名に接合辞が見えないのは, 後分の冒頭が i で母音重複が起こるためかと思われる.

*5
このようにみてくると, 『原色日本昆虫生態図鑑 Ⅰ カミキリ編』(前掲*2)が属名の語義を「緑色の "成虫" の意」としたのは意味慎重だと言える.  idolum を "偶像" などと直訳する代わりに, "成虫" と躱したのかも知れないのだ. それなら, 脱帽です.

*6
大林延夫, 新里達也:『日本産カミキリムシ』, 東海大学出版会, 2007 が挙げる海外の分布域は朝鮮半島, 済州島, 中国東北部である(p.471).

*7
ある種を新種として登録するときに, その根拠とした標本をタイプ(基準)標本, あるいはホロタイプと呼んで永久保存されるらしい. 本種は, 日本産の個体が1879年に外国人によってタイプ標本として登録されている(前掲*6).

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