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天牛名義考「名義史放浪編(なまえのれきしほうろうへん)」

<A-4>で触れたように, 明の本草学者, 李時珍(1518-1593)は, 膨大な文献の示すところに自身の知見を加え, 二十数年をかけて医薬書『本草網目』(全五十二巻)を編纂しました。 蟲も医薬としては重要なようで, 同書巻之四十一には「天牛」なる項目もあります。

同書で, 李時珍は「天牛」の名の由来として, 八の字に開いたその触角が水牛の角に見立てられたと明記しました (「釋名」)。 この「天牛」, わたしたちにはカミキリムシのことのように思えます。 「天牛」はこんにちではカミキリムシ一般を表す中国語として知られているからです。 が, 往時はどうだったのでしょうか。 というのも, 次のような "問題" があるからです。

平安時代の学者, 源順(みなもとのしたごう)は, 自ら編纂した辞書『和名抄』で齧髪虫をカミキリムシと読ませ, これを中国の古辞書『玉篇』のいう蠰(ショウ)にあたるとしました。 この蠰はその別名, 齧桑とともに中国最古の字書『爾雅』に記載されています。 『玉篇』も『爾雅』の影響下にあります。 つまり,「天牛」とは別に, カミキリムシに相当するらしい表記として蠰, 齧桑があるのです。

しかも, 『爾雅』の「註」をしたためた郭璞(かくはく 276-324) は, 蠰, 齧桑を ”天牛に似る” と記しました。 かりに蠰, 齧桑がカミキリムシなら, 「天牛」はそれに似て非なる蟲とも受けとられかねない郭璞の言。  

李時珍はこの "問題" をどのように決着させるのか。 『本草綱目』の「天牛」にかかる解説「釋名」に続く「集解」(産地,採取時期,形状)を読んで, かれの判断を眺めてみましょう。


<A-5> 李時珍の叡智 天牛編(前編)


1. 「集解」で先学 陳藏器先生を引用す

「集解」は長文だから少しずつ読み解くことにしよう. それはまず李時珍の大先輩, 陳藏器(681-757, 唐代の本草学者)の文章の引用から始まる. 引用の前半は天牛の幼虫, 後半は成虫について書かれている*1. なお, 書き下し文を添える.

陳藏器曰
蠐螬 云蝎蠧 在朽木中 食木心穿如錐刀 口黑身長 足短節慢無毛
至春雨後化為天牛 兩角狀如水牛 亦有一角者
色黑背有白點 上下縁木 飛騰不遠

陳藏器曰く,
蠐螬(スクモムシ:甲虫の幼虫を指す呼称). 蝎蠧(キクイムシ. 木を食い荒らす虫の総称か)と云う.  朽木中に在りて木心を食し, 錐刀の如く穿つ.  口黑, 身(み)長し.足短く節ゆるやかにして無毛.
春雨に至りて後, 化して天牛と為る.兩の角, 狀は水牛の如し.また,一角のもの有り.  色黑く背は白點を有す.木に縁(よりて)上下し, 飛騰するも遠からず.

以上を要約するとおおよそ次のようである. 幼虫は朽木(樹種の特定なし)の中にいてその心を食し, 錐のように穿孔する. その口は黒く, 体は長い. 脚は短く, 体は緩慢な節を有して無毛. 
(新暦でいえば) 5月ごろに羽化して天牛となる. その天牛には2本の角(触角)があって形状は水牛の角のようだ. 色は黒,背に白点あり. 樹木を上下に移動し, 飛翔するけれどあまり遠くまでは飛ばないという次第. 
幼虫と成虫の外貌から生態にいたる詳細な記述だ. 陳藏器先生, すごいぞ.

かくして, かれは李時珍より早く「天牛」の呼称の由来を指摘してもいたのである*2. 

ここで, 陳藏器の文章からあるカミキリムシが脳裏を過ぎる. ただ,「朽木中に在りて木心を食し, 錐刀の如く穿つ」が決定を鈍らせるけれども *3. 
が, ここは先を急ごう. 

『本草綱目』第四十一巻 蟲部 蟲之三 天牛(先の A-4 掲載分の中心部を拡大, 再掲)
名称・呼称の解説「釋名」に, 産地・採取時期・形状に言及した「集解」が続く.
早稲田大学中央図書館蔵


2. 李時珍先生, 天牛を語る

いよいよ李時珍の自説が披露される. 時珍自身の論考ながらあたかも引用文のように書き出している.

李時珍曰
天牛處處有之 大如蟬 黑甲光如漆 甲上有黄白點
甲下有翅能飛 目前有二黑角甚長 前向如水牛角 能動
其喙黑而扁如鉗甚利亦似蜈蚣喙 六足在腹
乃諸樹蠧蟲所化也 夏月有之出則主雨

以上を書き下してみよう.

李時珍曰く,
天牛, 處處に之有り, 大きさ蟬の如し. 黑き甲(鞘翅)は光りて漆の如し. 甲(鞘翅)の上に黄白點を有す. 甲(鞘翅)の下に翅(後翅)を有し能く飛ぶ.
目の前(さき)に二本の黑き角(触角)を有す.甚だ長く, 前に向きて水牛の角の如し.能く動く.
その喙(くちばし)は黒く, 鉗(金ばさみ)の如く扁(扁平)にして甚だ利(鋭利)なり. また, 蝶蛉(ムカデ)の喙に似る. 六足が腹に在り.
乃ち諸樹は蠧蟲(蝕む虫)の化(羽化)する所也.
夏月に之有りて出づれば, 則ち雨を主(つかさど)る.

ここには, 単に受け売りではなく実見にもとづいたと思われるリアルな「天牛」の描写がある. ただ, 末尾で降雨を絡めて神秘色を残しているのが面白い. この部分は『酉陽雑俎』(A-3参照)の影響かな. 「天牛」の出現時期が梅雨期と重なるだけのことかも知れないのだが. 

それはともかく, 李時珍のいう「天牛」は, 蝉ほどの大きさで, (鞘翅は)漆黒で艶があって黄白色の斑点を有し, 黒く長くよく動く触角と鋭利な大腮がある. しかも, 諸樹, すなわち樹種を問わず幼虫はこれを食害し(朽木とは言っていない), そこで羽化するという. 
ここまでくれば, これはカミキリムシにほかならない. それどころか, その種類さえ絞られそうである. 

そうして注目すべきは上に続く次の記述. ここにかの郭璞の「註」が紹介され, 最後にそれをもとにした李時珍の結論が述べられる.

按 爾雅蠰齧桑也 郭璞註云 狀似天牛長角 體有白點
善齧桑 作孔藏之 江東呼爲齧髪
此以天牛齧桑爲二物也

これを書き下せば,

按ずるは爾雅の蠰齧桑なり. 郭璞の註に云く, 狀(形状)天牛に似て長角. 體は白點を有す. 善(この)んで桑樹を齧り, 孔を作り之に藏す. 江東にては呼びて齧髪と爲す.
此れ天牛・齧桑をもって二物と爲すなり.

現代語に意訳してみよう.
問題は『爾雅』に記載のある蠰, 齧桑だ. これについて郭璞が「註」で次のように書いている. すなわち, 蠰, 齧桑は形状が「天牛」に似て触角が長い. 虫体には白い斑点がある. "桑の木を好んで齧り", (幼虫は)穿孔して中に潜り込んでいる. 江東地方ではこれを齧髪と呼んでいる. 
これすなわち, 郭璞は, 「天牛」と蠰, 齧桑とを "二物" としているのだ.

郭璞が蠰, 齧桑を ”天牛に似る” としている以上, 両者は「二物」, つまり同一ではないと李時珍は結論づけたのである.さて, 「天牛」はどう考えてもカミキリムシ.  そうして蠰, 齧桑 (『和名抄』は齧髪を採用したが) もカミキリムシ. しかもこの二つは区別されるべきとすれば, その始末や如何に? *4


(つづきは <A-6> 李時珍の叡智 天牛編 の後編にて)


*1
本稿では,原文(白文)にはない語句の区切りを半角余白で施すこととした. 以下同様.

*2
触角を ”八の字” と形容したのは李時珍の独創かもしれない. "一名-八角兒" あたりからヒントを得たものか(A-4参照).

*3
カミキリムシはその種類によって幼虫の食餌(寄主植物とその状態)が異なる. 朽木を好む種類は森林の更新に寄与しているとされる. 伐採木を寄主とする種類は林業, 椎茸栽培などの害虫. 生木を食害する種類もいて, 林業ならびに果樹栽培の害虫として知られる. また食害の対象として特定の樹種を選ぶカミキリムシと選択範囲が広いカミキリムシがいる. 
往時, これらがどの程度認識・区別されていたかは不詳である. 陳藏器のいう「朽木中に在りて木心を食し, 錐刀の如く穿つ」は朽木よりもむしろ生木に対する幼虫の生態と思われる. 「天牛」の幼虫にかかる李時珍自身の論考には朽木という語が見えないことに注意.

*4
挿図の「集解」ではこの後に蘇東坡の漢詩の引用があるが, それはまた後日に.


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