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腕組みをする新しい理由を探す

人間は誰しも癖がある。しかし、自分で気づく癖は非常に少ないように思う。

私は何かを言う時、文頭に「いや」や「まあ」と付けてしまう癖がある。これは周りに言われて初めて自覚した癖だ。他にも貧乏ゆすりや口が開いてしまうことなど、無意識にやってしまうことを家族や友人に言われて気付くことが多い。

その中で、初めて他人に言われる前に気付いた癖がある。それは腕組みである。家でテレビを見ている時などもしているのだが、外を一人で歩いている時に腕組みをしていることが多いことに気付いた。

そもそも人間の歩くという動作において、腕も連動しているため、腕組みしながら歩くと若干のぎこちなさを感じる。

それなのになぜ腕組みをしながら歩きたいのか。

私は警戒心からの自己防衛としての意味合いが強いと考えた。

別に一人で歩く事なんてよくあることだと思うが、すれ違う人に「一人で歩いていて可哀想」なんて思われててたまるか、という謎の感情のもと、強がった姿勢を見せたいという意思から表れる行動だと考えた。

防衛なんて言い方は大袈裟かもしれないが、自分から気付いたら癖の発生理由を自分なりに納得いく形で導き出せたので、「まあいいか」と思った。




割とあっさり完結したなと思いながら、「腕組みする心理の一般論はあるのかな」と少し気になったため、気休め程度にネットで調べてみた。

すると、「相手を警戒していたり、威嚇していたりする意味合いがある」と書かれていた。

私はかなり動揺した。と同時に恥ずかしくなった。

自分でふと認識した癖である腕組みという行為に、実は深い理由があるということを私なりに導き出して、「それなりに納得いくものになったな」というささやかな自己満足感を味わったのも束の間、それはただの一般論だったのだ。

一般論をあたかも私なりの考えのように提示しようとしていた。ダサい。ダサすぎる。心理学の先生に笑われる。

それを一般論だと気づかぬまま投稿してしまうよりは良かった、と思うしかない。投稿後に「それってネットとかに普通に書いてあるよ」なんて言われたら目も当てられない。

この論は振出しに戻ってしまった。もう一度、なぜ私は無意識に一人で歩いている時に腕組みをするのか。より深く考えた。

まず、「孤高の存在であることを示すためではないか」と考えてみた。誰かと群れることなく、一人で考え事でもしながら歩いてる雰囲気を醸し出す感じへの自惚れとでも言おうか。

だが、私がそんな自意識過剰な人間だとは認識していない。正確に言うと、私が自意識過剰な人間だと認めたくない。この理由を採用することは、私の自意識過剰を助長するものであるため、納得出来なかった。

腕のやり場に困ったためではないか」とも考えてみた。手持ち無沙汰で、腕をぶらぶらさせるのもみっともないし、一番腕の収まりが良いのが結果として腕を組むことなのだろうと。

だが、それだと一人である理由がどこにもないのだ。手持ち無沙汰でみっともないという理由は、集団で歩いている時にも当てはまる。でも、私は一人で歩いている時に腕組みすることが多いのだ。これも納得出来なかった。

他の理由も考えてみたが、「自己防衛」よりしっくりくる理由はなかった。それが一般論なのだから当たり前なのだが。

結局、あれこれ1時間ほど考えたがギブアップ。新しい腕組みの理由を考えている間、ずっと腕組みしたいてことに気付くのはその後である。




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