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25.昭和59年9月29日 第1巻のタイプを終了して

 昭和22年より書きだし絵とともに25年頃には終了していた原文を、タイプに打つために35年も経った今日、1字1句読み直し、見直してみていろいろなことに気がついてきた。
 とても、原文のとおりでは、後世に残せたものではなかった。

 そのために、
◎原文は、誤字、脱字、あて字は自由自在…監修者の指示どおり訂正済

◎【安らかに眠って下さい。過ちはくりかえしませんから。】と、主語がなくて有名になっている、広島の平和公園の碑文なら別として、原文では、第3者には、とても意味のとれそうもない、主語のあいまいな個所…第3者にも理解されるよう、主語を明記。

◎文節が長すぎたため焦点のぼけている個所…文節を短くしたり、または、削除。

◎軍経験のない人には不明な用語の使用
 例:給与がいいとか悪いとか…日給とか月給ではなく、食料とか煙草、お茶の支給のこと。
 重機、軽機…重機関銃や、軽機関銃のこと。などと、説明を追加補充。

◎旧かなづかい、旧漢字の使用…監修者の指摘により訂正
 例…そのうだ(そのうだ) 使(使

◎20年代の頃はありふれた日常生活用品でも、昭和50年代ともなれば死語となりつつある単語の説明
 米櫃コメビツ→ハイザー
 カマスとか、とうまい袋の説明

◎俗にいうシベリヤぼけか、関分隊長以下9名では、9名の隊員ということになる。以上、以下の用語の定義を勘違いして使用していたから、人数が合わないことに気がついた。…人数は訂正。


このようにして、第1巻のタイプ打ちは終了した。
前記の各項は、第2巻、第3巻でも通用するあと書きもあろうと思う。

昭和59年9月29日(土)


勝った負けたの戦況よりも、多くの戦友が戦死するなかで紙一重のところで生き残った体験など科学では解明できない人の運命の定めについての因縁話が多かった。

 山陰中央新報の昭和59年8月21日(火)
 第一面の下段、【明窓】の中の一文、文中に赤線を引き入れた。
 この赤線の部分に、『私は、』という主語を入れるとすれば、

 このように、科学では解明できない、人の運命の定めという、何かがあったぐらいのことは言えても、生還した人は、だれも、どうして、あなたは、生きて帰られたかと聞かれても、はっきり何か答えられる人はいないではなかろうか。


「王道楽土」「五族協和」
八月九日のソ連参戦

 戦後40年、昭和59年10月31日付の山陰中央新報を読んでいて、懐かしい言葉を見つけだした。
 それは、麻山事件という、在満同胞のたどったソ軍参戦にまつわるその悲惨な最期を伝えた文の中にあった。
(上の記事中に赤線を引いた部分)

 【王道楽土】  第1巻「1-11」、「1-44
 【五族協和】   〃 「1-11
 8月9日ソ連参戦   〃 「1-83

 ここに掲げたスローガンがどのような終末に至ったか、今さら、いうまでのこともないことだが、過ぎ去った、日本の国の歩んだ道とともに、消え去った人の多かったこと、再び、新聞紙上の活字によって、思い知らされたような気がした。

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キンクーマ(祖父のシベリア抑留体験記)
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