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「照明弾」


*キャプション
 「伏せろ」
 闇を貫きシュルシュルと
 不気味に上る 照明弾
 忽ち唸るソ軍の砲‼︎重機‼︎

 軽き命を
 神?かけて


 夜、日の出山を下る時以来、武解(8月28日武装解除のこと、その当時は「大命により武器を返納する。」と訓辞があった。つまり、天皇陛下より預っていた武器を天皇陛下にお返しする、という意味である。天皇という言葉一つの重みは満洲の荒野にいた一兵卒に至るまで、徹底しており、たった一言「大命により……。」でぴったり戦火が消されたことでも想像されると思う)に至るまで、夜ともなれば打ち上げられ、昼のような明るさのもと、一斉に重機や軽機、時には砲撃もされた。

 照明弾の打ち上げは明るくしておいて射撃するというだけでなく、何かの信号の時もあったように思う。
 赤色、黄色、紫色など色のついた照明弾が連発して上がる時もあれば、ただ明るいだけの時もあった。
 行進中に、前後左右に、シュルシュルと無気味な音がした後、パッと明るくなる。
 行く手、行く手にこれが上がると暗夜の光がやけに強く心身にのしかかり、周囲を完全に包囲されているという錯覚を起こしそうになったから、こういった心理作戦もあったかもしれない。(終戦のことを知っていたソ連側は、無益な損失を少くし、関東軍が分散しないよう集結させておいてから、終戦のことを日本側に知らせる意図があったから、絶えずその行動から眼を離さず、近よらず、又離れずだったということも聞いたことがあるが、それ程、ソ連側が考えていたとは急には信じがたい)

 それにしても、夜中に相手がどこにいるのかも分らないのに、明るい場所にいるこちらだけが一方的に撃たれるのはあまりいいものではなかった。
 この照明弾は、信号として上げたにしろ、射撃の目標をつかむために上げたにしろ、いずれにしても落下傘がついているそうで、ゆっくり、ゆっくりと降下していた。
 ソ連軍の、これの打ち上げの係は2~3名の兵とのこと、この照明弾のあと何の射撃もないこともあった。
 照明弾のもとでの射撃では同じ中隊内では負傷した話を聞かなかったから、心理的な威嚇が主だったかもしれない。

 この照明弾の上った時にこわかったのは敵弾ではなくて、私にとって忘れられないのは友軍の軍馬だった。
 馬は、弾を避けるために人が伏せていても、そんなこと、とんと無関係なこと。
 明るくなった上、行進が止まるから、これ幸いとすぐに一瞬の間でも、立ったまま草を探して食べている。
 鈍な彼等、大きなのが立っているから、その近くにいたら狙われるというので皆は馬から遠ざかるようにしていた。
 身動きひとつせず、ぴったりと地に伏せたまま周囲が暗くなってくるのをじっと待っている私の耳もとに、そんなに親しくもないのに顔をよせてきた。雷のような鼻息をまともに私の耳たぶに吐きつけながら草をむしった。その草をくわえたまま首を横にすると、その端が、すうっと顔面をこする。2度、3度いそがしげに草をむしり前足を動かしていた。時には、草についた砂が顔にぱらぱら落ちた。
 こちらはもう生きた心地はしない。その間の時間はほんの2~3分ぐらいのものだ、しかし、暗くなるのをじっと待つ間のいらだち、その当事者でないと分らないことだ。
 以来私は、照明弾のたびに、馬が近くに見えたら必ずこれから遠ざかった。
 もっとも、生活のかかっている馬からみれば、いい草の上の人間こそ邪魔な存在だったに違いない。

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キンクーマ(祖父のシベリア抑留体験記)
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