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「ソ軍重戦車」


*キャプション
 砲火の唸りに部隊をして縮み上がらせたソ軍重戦車
 げに尊きは人の命よ


 「敵戦車3台5里接近。」、とか、「戦車5台。」、又「戦車発見できず。」など、たいていの情報はソ軍の戦車が中心のようだった。
 絶え間ない戦闘機の飛行のもと、常に戦車の情報におびえ、その影に追いまわされ、その火砲のウナりの度に犠牲が出ていた。
 ソ軍の戦車は、戦車というより、『ゆっくり動く木の山』という感じだった。
 日昼、山の上で速射砲を据えて、戦車を迎え撃ったことが1回だけあったが、見えたのは木のかたまりだけだった。
 まともに全体を見たのは武解の後であったが、いつ見ても同じ型はなかった。色々な型があった。アメリカからの軍事援助の戦車やら、ヨーロッパ戦線で使用した中古品など旧式な型だと話し合っていた。
 又、そう深い大河がある訳でもないのに、水陸両用戦車や、渡河用の浮き桟橋も持ち込んできていた。
 どの戦車にも共通していたことは、戦車に積んである砲の砲身は太く、長かったことであった。

 小銃、軽機、重機、拳銃などの弾丸は上図のような形をしていた。
 銃口の大きさや、銃身の長さなどによって、実弾の大きさ、薬きょうの長さにはそれぞれ長短はあったが、どれも形は同じであった。
 野砲のような大砲でも、弾の飛んでいく原理は同じである。
 つまり、引き鉄を引けば、小さな先の少し山型の鉄芯で信管に衝撃を与える、すると信管が小爆発を起して薬きょう内の多量の火薬の爆発を促進するという理屈である。
 その時の爆発は、それらの順により瞬間的に起るのである。
 その爆発により、弾が銃身内を通って外に飛び出す訳である。
 実際には、引鉄を引いても弾の出ないこともあったが、その時は、思い切り強く引き鉄を引くと弾は出ていた。

 五重台の戦闘の後、薬きょうの短い、一見してすぐに拳銃の弾と分かるのを1個拾った。
 拳銃を持っていた将校にやったら、丁重に礼を言って受けとってくれた。
 彼は、すぐに、拳銃の握り部分の底を外し、弾をつめようとした。ところが、何回試みても薬きょうが2~3mmぐらい長くて将校の銃には入らなかった。
 彼は、とうとう諦めて返してくれた。
 「これは、ソ連軍の拳銃弾だね。」と言っていた(下図の左側)。

 武解の朝、満人の民家のかまどの石の上で、薬きょうと弾丸の境の所を叩いて、弾丸をとっている古兵のやりかたをまねて、三八式歩兵銃弾とソ軍の拳銃弾の弾丸を抜きとろうとしたら、私の手を押しとめ、「少し待ってくれ。俺達が逃げてからしてくれ。」と、古兵連中は一斉に立ち上った。
 それでも、あわてながらも、やさしそうな指導助言はしてくれた。
 「まかり間違っても、決して底を叩くなよ。」と、大変親切なお言葉だけを残して彼等は、そそくさと外へ出てしまった。
 うっかり、薬きょうの底を叩けば、指ぐらいは簡単にふっとぶそうだ。
 火薬だけなら、少しずつ火に投げ入れても燃えるだけのことらしいが、狭い場所につめこんである時に、何らかの衝撃とか、高温にしたら非常に危険なことだ。結果的には異常はなかったけど、極めて危険度の高い弾の抜きとりだった。

 今頃になって、火薬の知識など多少とも分ってきたら、やれやれと思い出してもぞうっとする。
 知らない者は強いもの。
紙雷管の微々たる火薬を瓶につめたり、鉛筆のキャプにつめたりして、小学校の児童が大怪我をしたりした爆発事故のニュースを見ると、私の火薬に対するその当時の知識は、せいぜい小学生なみだったなあと思ってみたりしている。

上図の実物写真

 武解の後、撤退したままの友軍の兵舎のかたづけをしていた夕方、焚火をしていたら、ちょっとした爆発音と共に焚火がきれいにふっとんだことがある。
 ここでは、先着の部隊も少々いたが、それらの兵が野砲の弾の薬きょうを利用して水入れなどに使っていた。
 その小爆発は、野砲弾の信管か、小銃弾だったか、いずれにしろ、はっきりした原因は不明のまま終った。
 しかし、このことは大ごとになり、ソ軍側と、日本軍側の中隊の指揮班の双方より、焚火についての注意が急々に伝えられた。
 私が、ちょうど兵舎より出ようとした時に、その焚火の爆発音を聞いたが、近くにいた2~3名の兵は、みんなぼうぜんとしており、まっさおな顔をしていた。
 火のついたままの板や、棒のようなもののかたまりが、音響と共にそのまま上に飛びあがったと言っていた。
それにしても不幸中の幸い、だれもけがをしていなかったことである。

 終戦当時、小銃弾の製造単価5銭だといわれていた。
  1円=100銭
 その値段を、終戦後のインフレを通ってきた現在の金額に価値の換算して、いくらに当るか、といってもそれは、あまり意味がないように思う。
 当時は、軍専用の工場(工廠コウショウといっていた。)で、安い人件費で作られていたからである。


 しかし、人間の進んだ知恵で人間を殺す道具を考えだしておき、それを使用するのも人間なら、それの使用によって、その銃弾の犠牲になるのも又同じ人間。
 銃弾などの製造価格の問題ではなくて、それを使用する機会を生み出すのも、又これまぎれもなく人間であることに、何とも割り切れないめぐり合わせを感じていけない。
 その嫌なめぐり合わせは、いつ果てるだろうか、あわい希望だが、いつかは、そんなめぐり合わせは果ててほしい。

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