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「【西口の戦闘】 (シーコーと読む)」①


*キャプション
 当りもし(無?)いに
 射ちも射ったり
 対空射撃


 西口で初めてソ連の戦闘機を狙い射撃した。
 主翼が胴体の中央部分より出ており、先の尖った機首がぐっと突き出た独特の型をしていた。

(昭和47年4月17日北三瓶小学校に勤務していた時、5年生18名、6年生14名、合計32名を引率して宮島方面の修学旅行に行った。その時は、東洋工業が工場の都合によって見学させてもらえなくなり、その時間だけ広島空港にコースを組んだことがある。
 空港のロビーで思いがけない陳列品に出合った。それは、ライト兄弟の飛行機はもとより、世界各国の軍用、民間用の飛行機の模型が、ずらりと国別にガラスケースに陳列してあったことだった。
 さっそく、ソ連の陳列ケースの所に行った。
 興安嶺で、夜があけたら暮れるまで、来る日も来る日も悩まされたソ軍の戦闘機名が知りたかったのに、とうとう見覚えのある飛行機を探しあてることができなかった。
 ソ事の戦車は見る度に違っており、色々な型があったが、飛行機はいつも同型だったので記憶は確かである。もしかして、アメリカよりの軍事援助の場合もあると思い、アメリカのケースも丹念に見た。しかしここでも、発見できなかった。
 27年もたってから、記憶はあるようでも、少々探すのに無理なことは、いつも下から見ていたのを、こんどはケースの上より、つまり飛行機の上より見て、下から見た記憶に結びつけようとしたことである。
 飛行機に興味があるとか、専門の人なら分るかもしれないが、やはり素人には少し無理だったかもしれない。宙返りは度々見た。しかしその時はどうしても高度は高い。)


西口での1日目だけは、誰もよく撃った。私も、銃身が熱くなったから軍手までして撃った。超低空を飛んでいる二枚羽の偵察機でさえも1発も命中したような様子はなかった。
 飛行機には撃ってもあたらない。弾のむだづかい。ということを誰も認識しだし午後はあまり撃たなかった。
 西口で、初めて、対空射撃もしたが夜襲にも中途まで参加した。
 参加する現役兵だけで水筒の水の飲みまわし、満洲国の煙草の1級品「天壇テンダン」(満洲国では、煙草には1級~6級ぐらいまでの段階があった。1級、2級は上等品で私らは日頃めったに吸ってはいなかった。6級は値段は安いが辛くてとても吸えなかった。日頃学生には、3級品、4級品の配級が定期的にあった。)
 を中隊長のつけている煙草の火を小隊長が前に出てつけさせてもらい、小隊に帰ってきた。こんどは小隊長の煙草の火を各班長・分隊長がつけて帰り、その火を分隊員が互いにもらいあい、全員立ったまま吸った。
 夜襲前の別れの儀式か、水別れはこの時に初めて体験した。
 夜襲のための命令はたった一つ「何でもよい、敵の武器一切爆破せよ。」それだけである。
 夜間のため、同志打ちを避けるため、「山」「川」という合言葉を教えられ、その場で、前後の兵の間で練習をさせられた。
 何でもいいから固くて乾燥しているものにすり合わせるとすぐ発火する黄燐マッチが支給され、背囊は残っている召集の在満出身者が持ってくれた。
 そこからは、はったままで大きな河端まで行った。200mか300mぐらいはあったように思うが、そんな長距離の匍伏ホフク前進※は初めてで河の提防に着いたらしばらくは動けなかった。


※匍伏前進
 敵弾を少しでも避けるとか、敵から発見されないようにするため腹ばいになって進む方法。型式としては第1~第5まであった。
 戦いになれば、立って進むことなどおよそ考えられないことだった。
 学校の教練では、第1匍伏で行け、とか第3個匍伏で進め、とか言われて訓練をしたが、実戦ではそんな指示は全然ない。周囲の状況により、一切が個人の判断でその場に応じた動きをしていた。


 河端の提防は高く、首を出せば目的地点の西口の満人の聚落が昼頃より火の手が上ったままで、その火勢は一向に劣えてはいなかった。
 あの火が今夜の目的地だ、と、かわるがわる首を出して確認していた。
 そこでは爆薬の支給があった。装網(敵からの発見を避けるため、各人毎に3cm角ぐらいに網が支給されていて、山林とか草むらではこの網に木の枝や、大型の葉を押しこみカモフラージしていた。)の紐を解き、その紐で、懐炉灰のような形をしたダイナマイト3本を一束にし、その中心に導火線を入れ結びつけた。
 結局のところ、西口の火を目標に行くという最後の通達を受け、爆薬の支給もすみ、太陽の沈むのを待っただけで事は終了してしまった。
 この時、河の中に入り、河端の葦の中で故郷の方では、カオッツアントンボとも、又イトトンボともいっているトンボを私の前の分隊員、つまり、3分隊の軽機分隊の古兵連中(3分隊は召集兵はあまりいなかった。)がおいまわしていた。
 この姿が、あと時間の問題で死地に赴く兵の実態なのか、心を静めるための自然の行為なのか、いつまでたってもあの時の喜々とした場面が浮かんでくる。

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