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男と生れてあるからは 甘んじていようか 酔生夢死に
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*左から
・擲弾筒 全長約50cm
←着弾の距離を調節する物
←引きがね
・弾の大きさは、手榴弾より少し大型
直径2cm位の信管取り付け口(一ネジ、帯剣で外した。)
・信管
←安全弁の針金(発射の為、弾を筒に入れる前に外す。)
←弾に取り付けるためのネジ山
弾の外部には、手榴弾と同じように深い溝がある。
背囊の上、横にしてとめてあるのが擲弾筒である。
肩よりまっすぐ下に降りている紐は、左右に弾薬の入った袋を上からつっている。
斜めになっている太い帯は、雑嚢(ズック製の肩鞄のこと)で、細い紐は、水筒である。
左の肩の後に上向きに突き出た棒は組み立て式の円ぴ(スコップのこと)の柄である。
4分隊の擲弾分隊では、筒が2個あって、一方は平野古兵が筒手(筒に弾をこめて発射する係で1番大切な係)で、私の方は、小野寺古兵が筒手で第1弾薬手は私だった。
1筒について、弾薬手は第1~第3弾薬手くらいまでいたように思う。
筒は、第1弾薬手の私と、小野寺古兵の2人で交代して持ち運んだ。
いつだったか、「周囲に敵あり。」の予告がなくて、行軍中に砲弾が前後に落下しだしたことがあった。
野砲と違って、破裂の音響は軽く、着弾が全く不規則だった。(野砲の弾は、5発が1直線上に等間隔に落下したから、2発目の着弾で3発目からの着弾の方角が予則できた。そのために、その着弾予測地点より敏速に避難していた)
直ちに応戦する準備のため、散開して(被害を少くするために広がること)筒を外そうとしたら、筒を結んだ巾2cmぐらいの皮バンドが雨に濡れたため、縮みしまり過ぎて取れなくなっていた。(砲撃が始まると、たいてい狙撃兵が出てくるおそれがあった)
悲壮な顔つきの小野寺古兵と共に、早く外そうと腹ばいのまま、ソ連側の砲弾の炸裂する中で、さんざん手こずった。皮バンドが、丸い筒のまわりに食いついたようになっていた。
ナイフの刃を出して『皮を切る』という古兵に対して『背囊のまま撃ちませんか』と、提案した。
古兵は、すぐに了解し、私の背囊を引きよせ、逆さにして中を空にしかけた。
まだ空にしない中に、砲撃が、ぴたりと止んだ。(この時は、迫撃砲だったとか、炸裂のあとのカラン、カランと、破片が空を切る軽い音が耳に残る)
起きあがり、ぐっと一息に力を入れて皮バンドを引っぱったら3本とも、いとも、簡単にとれた。
小野寺古兵の面目なさそうな顔!初めて受けた迫撃砲の、ずいぶんと派手な軽い感じの炸裂音と共に、いつまでも、その瞬間の、「切る。」「待ってください。」「わかった。」のやりとりの一こまの印象が残っている。
後から、冷静になって考え、「撃つことに目的があったのか。」「外すことに目的があったのか。」と問われると、両人とも、一瞬返答につまったかもしれない。
これに限らず、瞬間的の判断ではだれもその時はこれが最上策と思うものではなかろうか。
背囊につけたままでは着弾距離の調節がしにくい。
実際に射撃するようになっいてたら、やはりバンドは切っていたと思う。
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