恐ろしい母と、楽しかった学校。
中学生、高校生の多感な時期。
私は学校から家に帰るのが苦痛だった。
学校に行くのが苦痛で・・・という子ども達の話はよく聞くことだが、
それは本当に大変な苦しみだと思う。
私はその逆だったのだが、それはそれでしんどかった。
その頃、私は要らない子なんだと本当に思っていたし、産まれてこなかった方がよかったんだな、とも感じていた。
高校生だったある日、母が電話しているのを聞いてしまった。
「もうあの子はグレてもしょうがないわ!」
「世の中に警察がなかったら殺したいわ!」
げげ・・・殺されるんか?わたし。
なんでやねん!そりゃ私はアンタ(母)のいうことは聞かんけど、せやから言うて外で悪いことしてへんやん!
遊びに行っても、アンタがいう5時までには帰れへんかもやけど、6時には帰ってるやろ!アンタが心配してるタバコを吸ってるワケでもないし、夜に徘徊してるワケでもない。どこにグレる要素があるねん!
アンタが私を信用してないだけやん!そんなんで殺したいってか!
アンタの言うことをなんでも「はいはい」って聞くワケないやろ!
・・・と、言いたいけど、そんなことを言おうものなら口答えしてくることにキレて、ボコボコにされるのは目に見えてる。
なにしろ姉は母の言うことをよく聞き、母の言うことはすべて正しいと思ってた人で、妹は真逆だったから、母からすると妹はボコボコにしても、し足りないということなんだろう。
私は思うことはいっぱいあっても、言いたいことを母には言えなかった。
ひたすら怖かったから。『さわらぬ母に祟りなし』これにつきる。
怒鳴られ、蹴られ、時には耳を引っ張られたこともあった。
ただただ恐ろしい。
姉は同じ目に遭っても、それは自分が悪いからだと思っていたらしい。
だから姉は一生懸命母に怒られないように頑張っていた。
私は表面的には「はい」と言いつつ、いかに誤魔化すことができるかを一生懸命考えていたような子だった。
母の電話の件を担任の先生に話したら、「あなたはグレることはないよ。そんな子じゃない。」とキッパリ言ってくれた。
嬉しかった。すごくすごく嬉しかった。
家では否定しかされないけど、学校では肯定してくれる。
中学に入学してすぐの頃、母からあれだけ下手くそと言われていた絵も、美術の時間に描いたデッサンが教室に貼り出されたり、書道の時間に書いたものも、家では姉ばかり評価されてたが、学校では毎回教室に貼り出されていた。嬉しかった。
その頃にはそんな事は母にも言わなくなっていたし、戻ってきたデッサン画や書道の作品を母に見せることもなくなっていた。
ひっそりと一人で喜びをかみしめていただけだった。
学校では友だちがたくさんできた。学年が上がってクラスが変わり、知らない子達ばかりで相変わらず一人緊張して、人に話しかけられないのは幼い頃から変わってはいなかったけど、なぜかみんな私に話しかけてくれた。話しかけられたら普通に話せるからすぐ仲良くなれた。先生方も一人一人が個性的で、やっぱり学校が面白かった。
学校は唯一私の居場所だった。
私は家族以外の人たちに支えられてきたということを実感している。
そしてそれからも、たくさんの人たちに助けられ、支えてもらうことになるのだ。
だから、よけい家がしんどかった。