怖い母と救世主の父
私が小学6年生の時のこと。
母が「これからは靴下、ハンカチなんかの小物は自分で洗いや」と言い、裏庭に、といっても洗濯機と大きなソテツの鉢植えだけが置いている狭い狭いところなのだけれど、そこに連れて行かれた。
そこにはもうタライと洗濯板が用意されていた。
母は私に洗濯板の使い方を教えた。
ただでさえめんどくさいのがキライな私には、もはや苦痛でしかなかった。
それからというもの、小物の洗濯は一切してくれなかった。
仕方なく、日曜日になると裏庭に行き、タライに水を張り、洗剤を入れ、靴下やハンカチを一つ一つ洗濯板でゴシゴシ洗った。
洗い終わってピンチハンガーに干し、ヤレヤレと思っていると、干した靴下を見た母が「なんちゅう干し方や!ちゃんと一つ一つキッチリ伸ばして干し!」そしていつものお言葉。
「ほんまにあんたはだらしないねんから!」と怒鳴られた。
そんな始まりだったが、ズボラな私はその都度必ず洗うというわけでもなく、その後毎週ではないが日曜日に友だちと遊びに行ってしまい、洗濯をしなかった日が何度もあった。
ある日。たまった洗濯物を見つけた母は、洗濯物を裏庭に放り投げ、「ほんまにあんたは!」と怒鳴りながら私の頭を数発殴ると私を裏庭に押しだし、「洗え!!」と言い放つと扉をピシャッと閉めてしまった。
私はヒクヒクと泣きながら洗い始めた。
すると父が仕事から帰ってきた。
父はいつも裏口から出入りしている。
私が泣きじゃくりながら洗濯をしてるのを見て、「そんなにたくさんあるんやったら、洗濯機で洗ったらええんや」といい、洗濯機の使い方を教えてくれた。それから洗濯機を使って洗うようになった。
その時母は、父が私に洗濯機で洗うのを教えたことについて何も言わなかった。
父は亭主関白だったわけではない。たまに夫婦喧嘩をしてることがあったが、明らかに母が優勢だった。
お酒の好きな父は、晩酌でまだもう少し呑みたい時に母に「もうちょっとだけ」「もうちょっとだけ」と懇願するがいつも「アカン!呑みすぎ!」と一喝されていた。でも、母に頭が上がらないわけではなく、父の一言が母を黙らせることもあった。
夕方。
その日も私は母に叱られていた。もう何十分も叱られていた。
もちろん私は泣いている。
そこへ父が帰ってきた。
私が叱られている様子を見て一言。
「はよメシにしろ」
数十分が何時間にも思えた長い時間が、父の一言で終わった。
父は私の救世主だった。