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転機になった映画

私は母が恐くて、母の前では上手く話すことができず、いつも緊張しては“アヤヤオヨヨ”になってしまっていた。何を話してもその話し方は言い訳がましかったり、支離滅裂な言い方になったり。どうも上手く話すことができない。
話は遮られ、内容は理解されず怒られる。
(ちがうちがう!そうゆうことじゃなくて!)
(私が何を言いたいのかちゃんと聞いてよ!)
と、無理な期待だったことに毎回打ちひしがれるのだ。
そんな事が日々起こり、自分の頼りなさが情けなかった。
学校の先生や親戚のおばちゃん、お店の人。
母以外の大人達とは普通に話せるのに。

そんな時に観た映画が私の心を衝撃的に軽くしてくれた。

それは誰もが知っている有名な映画ではない。
一つはハワード・ドゥイッチ監督の『恋しくて(Some kind of wonderful)』。
『バック・トゥ・ザ・フューチャー』の主人公マーティ役を撮影半年で降板を余儀なくされたエリック・ストルツが主演の映画だ。
高校生の主人公が、あれこれと指示して決めてくる父親に向かって言った言葉。
「僕の人生はいつになったら自分のものになるの?」
この言葉は当時の私にはすごく説得力のある言葉だった。

そして時を同じくして観たもう一つの映画。
これも有名な映画ではない。
アラン・モイル監督、脚本の『今夜はトーク・ハード(Pomp up the volume)』
主演はクリスチャン・スレーター。
主人公はコミュニケーションが苦手な無口な高校生。
裏の顔は、夜10時になると海賊放送のDJハード・ハリーとして、学校の体勢批判をラジオ放送していた。それが抑鬱された生徒達の中で大バズリ。
学校側は海賊放送のDJの正体を躍起になって暴こうとする。
そんな中でDJハリーが『自分の言葉で語ろう!』と言う。自分の言葉で。
そして『So be it』。それでいい。

私は今まで何を気にして母に話してきたのか。
怖いからといって必死で怒られないように話そうとしてきたつもりだけど、そもそもそれが違うのだ。怒られようがどうしようが関係ない。ただ自分の言葉で話せばいいのだ。それでいい。そう思えたら、フッと肩の力が抜けた気がした。

幼い頃から否定され続け、褒められもせず、やりたいこともやらせてもらえず、怒鳴られ、どつかれ、そんな母に全てを諦めて大きくなった私には、そんな簡単なことにさえ気付けない大人になっていたなんて。
いや、わかってはいたのだが、フラフラとした感じだった気がする。

でもこの2本の映画は、腑に落ちるものだったのだ。しっかりと私の中に。

この映画を観たのが、もう子供達三人が小学校に行くようになっていた時。
そんなすっかり大人になっていた私は、まだまだ母が怖かったのだ。母だけが恐かったのだ。


それからというもの、少しづつ何かが変わっていった。




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