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恐ろしい母にもあった若い頃のウソみたいなふつうの話。

これはすべて母から直接聞いた話。

母は、7人兄弟の末っ子。1番上のお兄さんとは20歳離れている。
そして、母は子どもの時からしっかり者だった。

まだ小学校に入るか入らないか、そんな頃。
家で寝たきりになっていた母のお爺ちゃんが母を呼ぶ。
そこらで一人遊んでいた母は、自分を呼ぶお爺ちゃんの声を聞いて、
急いで“尿瓶”を持ってとんで行く。
(お爺ちゃんのオシッコの取り方まで話してくれたけど、そこは端折ります)

お父さんは漁に出掛け、お母さんは畑に出ている。
家には自分しかいないから、必然的にお爺ちゃんの世話はまだ幼い母がしないといけない。それを笑いながら私に話してくれる。懐かしそうに。

母方の祖父も祖母も、優しかった。
と言っても、私が小学校に入った年に祖母が、次の年に祖父が亡くなったので、たくさん思い出があるわけでは無いが、覚えている祖父母は優しかったのだ。
母方の親戚もみんな優しい。誰も母に似ていない。
母はいったい誰のDNAを受け継いでいるのか謎だ。

父と母はお見合い結婚と聞いた。
でも、お互いの存在は知っていた。なぜなら、父のお姉さんと母のお兄さんが夫婦だったから。父方のお婆ちゃんが母方のお婆ちゃんに、息子に母をくれないか、みたいな話になったらしい。
母はイケメン好き。男なんかみんな頼りない!とか言いながら、実は面食いなのだ。で、話が持ち上がった時、相手が父だとわかって喜んだらしい。
父はイケメンだったのだ。昔の写真を見ると、往年の銀幕スターの様。
ところが、ところが。これに“待った!”をかけた人がいた。
二人の結婚に、母の1番上のお兄さんが反対したのだ。

私は母に聞いた。
「なんで反対されたん?」
「“アイツは気がキツイから”やて」

私は爆笑してしまった。
反対されたん?気がキツイから?
みんな母のこの性格をわかってたんだと思ったら、笑わずにはいられなかった。

とは言うものの、それから母は、大阪に居る父の姉夫婦の所に、手伝いに3ヶ月程行かされた。父が姉夫婦と一緒に仕事をしていたからだ。
田舎から出た事がない母は大阪に行ける!と喜んで行った。

3ヶ月後、田舎に帰る時父が大阪駅まで送ってくれた。
そして、別れる時父は母に駱駝革の手袋をあげた。
母は、すごく嬉しかったらしい。

田舎に帰ると、もう結納が入っていた。

ひえ〜!
あの恐ろしい母に、こんなロマンスがあったなんて!

そんな二人の話をしてくれた後で一言。

「後にも先にもお父ちゃんからもらったんはアレだけや!」
「あとは死ぬまで何にもなかったわ!」

せっかくいい話が…

それでもやっぱりこの恐ろしい母も、実はただの“人”だった。



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