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谷川俊太郎さんのこと

谷川俊太郎が逝去された。
谷川さんの作品はわたしの人生の至る所で寄り添ってくれた。

20代の私は大学で上京してそのまま仕事について、
東京の小田急線沿いの街に一人暮らしだった。
(たまに友人や彼と住んだりもして。)
仕事に行って電車に乗って駅に降りると、一人分の夕飯の買い物をして、簡単なご飯を作り、風呂にゆっくり浸かって寝た。
(風呂で本を読むから大抵の自分の本はふにゃふにゃしていた。)
自由でふわふわした毎日だった。
それなりに楽しかったけれどいつもついてまわるのはよくある不安や孤独。

いろんな街に住んだ。そうするとまず図書館と市民プールを探した。
休日には、昼過ぎから市民プールに行って疲れるまで泳いで、その後図書館で思うままに本を借りた。谷川さんの詩をドトールやベローチェやマックで読んだ。電車の中でも読んだ。
そうすると孤独がなんだかいいようなもののように感じてきた。
休日に誰にも連絡できない私。でも孤独って、一人って、かっこいいじゃん、みたいな。
いつも歩いている景色が、木や葉っぱや光やスーパーの野菜とかがピカピカ見えてきたり、あいつ嫌いだわ、と悪態ついていた人がかわいく思えたりすることもある。遠くに住んでいるだろうもう会わない人を思ったりもする。
そんなことを考えて自分の生活もまあまあいいじゃないかと思えるような気がした。
だから、谷川さんの作品はなくてはならないものなのだ。

昭和の時代のビッグスターが次々逝ってしまう中、谷川さんの死をスレッドで知った。ああ悲しいな、という思いが湧いた。

谷川さんには一度だけお会いしたことがある。
(正確には後ろでただただ見ていた。)
私は若い頃クレヨンハウスという絵本専門店で販売と接客の仕事をしていたことがある。谷川さんはクレヨンハウス出版の赤ちゃん絵本のサイン会にきていた。たくさんのお客さんが並ぶ中、谷川さんは飄々とサインを書いてくださった。おじいちゃんだったが、目が鋭くて綺麗だな、と思った。


『手紙』

電話のすぐ後で手紙がついた
あなたは電話ではふざけていて
手紙では生真面目だった
<サバンナに棲む鹿だったらよかったのに>
唐突に手紙ではそう結ばれていた

あくる日の金曜日(気温三十一度C)
地下街の噴水のそばで僕らは会った
あなたは白いハンドバックをくるくる廻し
僕はチャップリンの真似をし
それから二人でピザを食べた


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