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セッション【ショートショート】

Alexander Williamと中本集の共通点を一つだけあげろと言われたら、ぼくは笑顔だと答えたい。それも幸せをふんだんに含んだ笑顔だ。

たとえば、コンサートが始まるとき、ステージの袖から現われて、客席のぼくたちにお辞儀するAlexの微笑み。それは幸せという言葉がぴったり来るではないか。確かに舞台に立つ人のなかには、たった一度の笑顔で、ステージと客席を親しいものに結びつける人物もある。しかしAlexの笑顔には、親しいというだけではない。もっとなにか、別な、いわば特別なものがある。それはおそらく人間のデリカシーと無縁ではないだろう。思わず姿勢を正したくなるような、そんな凛とした空気感の持ち主。それがAlexander williamである。ぼくはその笑顔に接するとき、こういう言葉を思い出す。

「人生は短し、恋せよ乙女」

私も一応イチミュージャシャンの端くれとして、恐れながら、中本集とセッションをさせて頂いた。その1番初めのことを、僕は昨日ことのように記憶している。2017年、中本集とはじめて会ったとき、彼はハンドパンと呼ばれる、スイスのパナート社が開発した、メロディーの鳴る打楽器を背中に背負っていた。まるで亀の甲羅のようでありながら、そのケースを開けるとUFOのような楽器が飛び出してきたから、驚いたものだった。

無雑作に改札を抜けて、屈指のない笑顔をこちらに向けてくれた、ぼくは体温があがり、すこし顔を赤らめて彼を迎えた。自分の街でもない神戸。その駅で落ち合ったのだ。まるでドキュメンタリーを撮っているかのような、リアルな展開とそれに呼応する街並み。神戸の街が新しい風を受けて、彼を歓迎するというよりも、むしろ試しているかのような厳しいものを感じた。

それは、まるでレコーディングスタジオに度々やってきて、自分のアンプに勝手に座る小野ヨーコを渋々ながら了承するポールマッカートニーのようだった。コントロールルームに少し顔をだすくらいならまだ許せるが、人のアンプの上に座っている東洋の猫女。ジョンレノンがその娘に惚れていたので、仕方ない。作曲家の意向だからと渋々受け入れた。だけどポールがヨーコを見る目はどこかドライで人妻をも試すような心持ちが、否めない。そこに一滴の嫉妬もなかったのだろうか。

例えば、それがスタジオに突然現れた「まねきねこ」だとしても同じだろう。リンダが現れたとしたら、ポールは自分のハニーを門前払いにするのだろうか。

思えば、その音楽家は、神戸という街。いや世界から恋をされているんだなと。その時悟った。

カールユングって、哲学者がシンクロニシティって概念を提唱した。その当時、それは世間から受け入れられるものではなかった。カール。泣き事をいうのはやめてくれ!共時性?そんなものがあるわけがない。それは君が少しばかり働きすぎて、少しばかり本の読み過ぎだからだよ。この世に偶然などない?シンクロしている?そんな訳がないよ。カールちょっと黙っててくれ。君は大きな仕事をし過ぎたんだ。そのフィードバック、騒ぎが済むまでは、田舎町で休暇をしていてくれ。

日本のクリスチャンチャーチでは牧師が力をもち過ぎているというのは、これまた有名な話。メンバーシップがあまりに強固で、実際に神さまを見ている人は1人もいないらしい。権威主義。神様を言い訳にしているのは、アートを言い訳にしている似非表現者も同じ事である。

嗚呼、宗教。、、!

Alexander Williamと中本集にあまりに惹きつけられるのは、それぞれ違う文化、違う肌の色にあるのに音楽によって結びつけられた。友情。戦友という言葉がピタリと来るかのような結束。

それでいて、それぞれがそれぞれの角度から音楽に対して真摯であり、音楽を信じ続けているということ。そして生き方そのものが音楽だと言う事

中本集の笑顔が山なら、Alexの笑顔は海だ。
自分と音楽の間には何人も入ることができないのだろうか。少なからずぼくはそのように認識している。認識に差異があるなら、それはこの文章を書いてる男のひとりよがりと、傲慢。勉強不足から来るものだろう。どうかどうかお手柔らかに。

どうかどうか仏様の気持ちで見守ってくれ。

ここまで熱く語ったとき、iPhoneが鳴った。画面をみると母さんからだ。

「あんた洗濯物入れといて言うたでしょ」

母さん台無しだよ。ぼくはこれから素晴らしいミュージシャンと歴史的なセッションしようって時なのに。どうしてくれるんだよ。

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