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石川啄木をDISり続ける父

石川啄木は、明治時代の歌人・俳人です。岩手県では宮沢賢治と並ぶ文学界の二大巨頭です。盛岡駅の駅舎にある「もりおか」は啄木の字ですし、大通りには少年啄木の像(確か噴水もあったような・・・)、材木町には「啄木新婚の家」があります。最近は、「啄木鳥探偵處」というアニメの主人公にもなりました。2年前、私は盛岡に戻って働くようになりましたが、職場周辺が啄木ゆかりの場所なので、啄木記念館(現在休館中)があります。そして、私、そして父の高校(啄木の時は旧制中学校)の大先輩にあたります。小・中学校の時は、宮沢賢治作品に触れることが多く、私が「一握の砂」を初めて読んだのは、20代後半、東京に1年だけいた時に読みました。

ふるさとの 訛なつかし 停車場の 人ごみの中に そを聴きにゆく

一握の砂より

当時の私に非常に刺さりました。この歌碑が上野駅13番線トイレ、ではなくて、15番線にあります。そんなこんなで全国区かは自信がありませんが、石川啄木はわが郷土が誇る偉人なのです。
しかし、私の父は、私の幼少期から、なぜか石川啄木を口汚く罵ります。「あいつは授業もサボって、彼女と岩手公園(盛岡城跡公園)でいちゃついてたんだ!」「借りた金も返さねえ、女にもだらしない」「○ソみたいな句書きやがって」等々、ひどいものです。一方、宮沢賢治はベタ褒めします。話題が石川啄木になると途端に顔が険しくなりました。当然、父は啄木没後に生を受けていますので、啄木に彼女盗られた、とか金を返してくれない等の個人トラブルはありません。そういう環境なので、私が大人になるまで啄木作品に触れることがなかったのです。
確かに、Wikipediaを見るとそれなりのクズエピソードが書かれています。

ちなみに、私は歴史上の偉人のクズエピソードをWikipediaで見るのが大好きです。特に、啄木のような詩人、芸術家にはクズエピソードに困ることがありません。クズエピソードがあっても、私の中で作品が汚れることはありません。「完璧な人間などいない」と私はさらに偉人に対する魅力と興味を持ちます。尾崎放哉のクズエピソード満載の吉村昭著「海も暮れきる」も私の大好物です。
最近、アーティスト、スポーツ選手にも「完璧な人間性」を求める風潮がある気がします。もちろん、犯罪やハラスメントはいけないけれども。ある面で突き抜けてる方は、どこか欠落しているところがあるものです。そこも含めて応援したいなと思います。
「完璧な人間などいない」これはデトロイト・タイガースのガララーガという投手が、もうすぐで完全試合達成というところで、審判の誤審により、逃してしまった際のコメントの受け売りです。

話はそれてしまいました。3年前、私の次男が修学旅行で(隣県ですが)盛岡に来た時、啄木記念館に行くと聞きつけ、私の父がこっそり、同時刻に啄木記念館に行ったとのことです。父も高齢になり、啄木を受け入れたのかな。と思いましたが、やっぱり、
あいつはクソだ」と罵っていました(悲)

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