「ゲーム」に負けて「罰ゲーム」
以前住んでいた地域は、一年を通じて『子供会』という組織が盛んに行事を計画・実行していた。
小学校に上がったら全員が強制的にメンバーになった。
公民館で映画鑑賞会、夏の1泊2日のキャンプ、廃品回収に芸術会の参加、バトミントン大会と、なんでもアリだった。
そして 年末のクリスマス会。
公民館に少々飾り付けをして、各自プレゼントを持ち寄り、普段さほど会話もない子どもたちの集団でパーティである。
『…早く帰りたい…』
何かの「ゲーム」をした。自分は負けたらしい。
「罰ゲーム」として、自分の名前を言いながら
パーティ会場を一周せよとのことだった。
なにを言っているのか、この大人たちは。
楽しそうに見えているんだろうか この状況が。
皆が騒いでいるのと、楽しそうにしているのを
履き違えているのではないか?
「自分の名前」が嫌いになった。
「罰ゲーム」と言う言葉自体がトラウマになり
倒れた者に鞭打つ様な酷いことに思えて、
今だに聞くと嫌な気分になる。
負けただけでは終わらずに、更に笑いものに
されなければならない、ゲームの幕引き。
小学生の心に、冷たくて深い傷を刻んだことを
覚えてる保護者なんて もういないだろ?
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